わたしのページ(読者投稿)
2021年9月26日
2回も東京五輪を観てしまった
前回の東京五輪、国立競技場の真っ青な空にブルーインパルスが描く五輪マークを仰いだ日、ばあちゃんは21歳だった。
時の総理大臣は池田勇人、五輪担当大臣・佐藤栄作。池田首相は、五輪閉会の翌日、病気を理由に辞任を表明している。現在の首相はどうなんだろうか。足元がいやに危なげにみえる。
大きな祭典の後の不安はどこへ錨をおろすんだろうか。アンチョコがないのでわからないねえ、と呟いてみるが、ばあちゃんは「オリンピックにふれる、吉田修一」新聞小説に泣かされる「行け!藤井!」「頑張れ」。引田さんが叫ぶ。藤井の手のひらが、とうとう国立競技場の壁にふれる。「おめでとう!」。
何種類もあるオリンピックの競技ではない。老若男女が声を大に応援した競技でもない。
もう一度、読売新聞7月22日からの連載小説を読み、涙目のまんま鼻を1回かみ、胃全摘出の胃ガンから30年鳩尾から20センチの手術痕をもつこの身で、2回も東京五輪を観てしまったばあちゃんは、どこへ錨をおろすんだろうかと思いながら、祭典は終わる。(常盤平・こいぬ 78)
寂しいけど自由でもたまには…
末っ子が家を出てから1年が経ち、寂しいけど自由を感じているわたしがいる。
子どもが家にいる時は何時までに夕飯を作らないといけないとか、明日は子どもが休みだから今日中に掃除をしておかなければと、子どもを中心に考えて動いていた。
今はそれもなく夫と二人で静かに暮らしている。少しだけ仕事をして、読書をして、好きなドラマを見て、11時までには寝る。こんな日常が幸せだと感じる。
子どもがいた頃は何だか忙しかったなあ。でも、たまには帰ってきて欲しい。その時はいつもより動いている自分がいる。いつまで元気でいられるかわからないが、ピンピンコロリの精神で日々過ごしていきたいと思う。(常盤平・オルコット 57)
夏の終わりに「さくらねこ」
最近、近所で見かける野良猫が「さくらねこ」になった。さくらねことは、不妊去勢手術をした野良猫のことである。手術済みのしるしに、片耳の先端をV字にカットされた耳が、桜の花びらのように見えるため、さくらねこと呼ばれている。
「地域猫活動」というものがある。地域住民が主体となって、野良猫の不妊去勢手術、ふん尿の始末(トイレの設置)と周辺の掃除、適切なエサやり(置きエサをしないなど)を行い、野良猫の数を減らすことで、野良猫トラブルを解決しようという取り組みだ。特定の飼い主がいないものの、地域住民の認知と合意の上で共同管理されている猫を「地域猫」と呼ぶ。
地域猫活動は、猫を守るための活動ではなく、地域住民を守るための活動で、野良猫の数をゼロにするのではなく、地域のトラブルをゼロにすることを目指している。
毎日エサをもらえる野良猫(地域猫)は気楽でいいなぁと思っていたが、この間、犬の散歩をしていた人が、持っていたペットボトルの水を猫にかけていたのを見て(事の次第は不明。実際に猫に水はかかっていなかったように見えた)、猫もいろいろ大変なんだろうなと思った、夏の終わりである。(すずむし)
好意と尊敬を与えてくれる友人
パラリンピックが無事終わりました。始まる前はコロナ禍の真っ最中の開催なので中止もやむを得ないのかと心配でしたが、長年がんばってきた選手の気持ちを考えると大多数の人がホッとしたと思います。
さて、この大会とは離れた話ですが、高校卒業の祝いに娘と2人、ツアーで旅した27年前のことです。そこで4人家族で参加してる人たちと仲良くなりました。2人のお嬢さんが娘と同じ年頃と母親同士の馬が合ったのでしょう。それから年に一度か二度会って、ランチをしながら近況報告や相談事などをして来ました。
だいぶ親しくなったと感じた頃、彼女は下のお嬢さんの小学校入学時の話をしてくれました。
2人の娘さんは上が片方の耳が聞こえないで産まれ、下の娘さんは両方共聞こえないで産まれたとのことでした。それまでも色々な事があったようですが、入学前に小学校の校長先生に呼ばれ、ろう学校を強く勧められたとのことでした。
「クラスの子どもたちに絶対迷惑はかけないように慣れるまでわたしが付き添います」と彼女は入学後、毎日学校へ通ったところ、2か月もしない内に校長先生から「みんなと同じように何でも出来る子なので、もうお母さんは来なくて結構です」と言われたそうです。2人目が両耳共に聞こえないとわかってから、色々な誘いや案内、好意で宗教を勧めてくる人もいたそうですが、まずは自分で努力して強く生きて行くようにと信念を持って教えた彼女はわたしより年は下ですが、好意と尊敬とを与えてくれています。
娘さんたちは中、高、大学、就職と進み、結婚。彼女も5人の孫のお祖母ちゃんです。去年も今年も会えませんが、また会える日を楽しみに待っています。
(根本・大輝の祖母ちゃん 71)
コロナ上陸からもう1年半
コロナウイルスが日本に上陸して、もう1年半が過ぎた。こんなに長く居座ってのさばるとは、誰も思っていなかったのではなかろうか。
第1波の頃、まるで「オイルショック」の時に、トイレットペーパーを買うために多くの人が列をなし混乱したように「マスクがなくなる、トイレットペーパーも不足する」と、朝早くから人々が列をなしました。第2波、第3波と襲いかかり、感染者が増加。飛沫で人から人へ感染するということで、いろいろな行事、集まり、学校まで休校になり、外食も制限され、お店がやっていけないと、悲鳴をあげています。
人と人とが、できるだけ接触しないで、仕事ができるようにと、オンラインがひろまりましたが運動不足その他いろいろな新しい問題が起きています。高齢者の中には、スマホ、パソコンなど持たない人、使えない人が大勢います。そういう人も取り残されています。
やっとワクチンを接種してもそれだけでは安全ではなく、2回接種しても、わずかですが感染者が出ています。接種しても、予防としての感染対策を今まで通り続けなければなりません。
外国では、コロナの完全な消滅をというのではなく、ある程度の共存も考慮の中にあると聞きました。
感染予防を続けながら、コロナが収まるのを願うばかりです。
コロナが収まった後の世の中は以前とはどのように変わって来るのでしょう。
(常盤平在住)
木の植え替えがまずかったのか
我が家の門扉の前に、低木のクスノキ(高さ1・2m)が1本植わっています。しかしだんだん大きくなって、人が通りにくくなってきました。そこでこの5月に根こそぎ抜いて、鉢に植え替えました。
このクスノキには、毎夏「青筋アゲハ蝶」がやってきてタマゴを産み、サナギになり、美しい蝶になって飛び立っていきます。しかし木を植え替えはしたものの心配は、「蝶が再びやって来てくれるだろうか?」ということでした。
2か月後の7月、やっと1匹の青虫を見つけ喜んだのも束の間、何とスズメに食べられてしまいました。
その後、青虫は見つけられず、やっぱり駄目かとあきらめかけた8月初旬、嬉しいことに2匹見つけました。この2匹はサナギに育ったようでした。合計3匹、これ以外は、未だに見つかっていません。やはり、木を植え替えたのがまずかったのかな。蝶には悪いことをしてしまったようです。心が痛みます。
毎日、クスノキの横を通る度に、葉の隅々を覗き込んでは青虫を探しています。
(緑は一番 78)
日々健康で輝くセカンドライフ
暦も長月になり、朝晩過ごしやすくなってきました。
最近、70歳代の方々がセカンドライフをと、いろんなことにチャレンジして楽しんでおられます。そして昭和生まれの団塊世代が今、70歳半ばでかなりの方々が定年退職も経験され、今まさにわたしを含めて団塊世代の踏ん張りどころです。
松戸市のシルバー人材センターに籍を入れて、仕事探しに日々奮闘しています。
若い頃に経験した仕事も活かしますが、その頃の役職は関係ありません。
今、自分にあった仕事、そして健康管理などをふまえて、いつ仕事の依頼があってもすぐに対応出来るように、体の鍛練も忘れないようにと、毎朝のラジオ体操などで近くの方々とコミュニケーションも図り、がんばっています。
働くことの喜び、ご褒美としてありがたく報酬も付いてきます。
わたしと同じ世代の方々がいつまでも社会貢献活動が出来て、日々健康で年を忘れて生活して、セカンドライフがもっと輝いて日々過ごせていければと願っている今日この頃です。(胡録台・団塊世代)