板倉鼎・須美子の画業を顕彰
遺族が松戸市などに575点を寄贈

板倉鼎作「少女と子猫」(松戸市教育委員会提供)
モデルは板倉鼎の妹・弘子さん

 このほど、松戸ゆかりの画家、板倉鼎・須美子の作品575点が遺族から松戸市教育委員会および美術館3館に寄贈された。
 板倉鼎は明治34年(1901)に埼玉県北葛飾郡旭村(現在の吉川市)に生まれ、父が松戸町で医院を開業したため、小学校の時に移り住んだ。東京美術学校西洋画科(現在の東京藝術大学)を卒業後、大正15年(1926)フランスのパリに留学。フランスの主だった展覧会に入選するなど、将来を嘱望されたが、昭和4年(1929)9月29日、敗血症のためパリの自宅で急逝した。まだ28歳だった。
 板倉須美子は、大正14年(1925)に鼎と結婚。文化学院の第一回生で、媒酌人は恩師だった歌人の与謝野寛・晶子夫妻が務めた。須美子は鼎のパリ留学にも同行し、鼎の導きで油絵を始めた。帰国後も美術団体「新油絵」の結成に参加するなど、画家の道を歩んだが、昭和9年(1934)結核のため25歳の若さで亡くなった。
 鼎と須美子には2人の娘がいたが、いずれも幼くして亡くなっている。
 今回の寄贈は鼎の姪の神﨑眞子(かんざきみちこ)さんと鼎の甥の長男の板倉剛(いたくらごう)さんが行った。板倉夫妻の作品・関連資料の保存に生涯尽力された鼎の妹の板倉弘子さんが昨年高齢により死去されたことに伴うものだという。
 松戸市はこれまでに鼎・須美子の作品189点と関連資料491点の寄贈を受けている。弘子さんは、松戸市に一括寄附する意向だったが、松戸市はこれまでに主要な作品の寄贈を受けていること、展示施設の開設まで時間を要し、それまで展示公開の機会を頻繁には持てないことから、鼎にゆかりのある美術館と作品を分けて寄贈を受け、連携して板倉夫妻の画業を顕彰していきたいという。
 575点のうち、284点が松戸市に、248点が千葉県立美術館に、33点が千葉市美術館に、10点が大川美術館に寄贈された。
 千葉県立美術館は、1978年に戦後初めて板倉鼎展を開催し、千葉県ゆかりの画家として鼎を紹介した。
 千葉市美術館は鼎の母校である千葉県立千葉中学校(現在の県立千葉高校)がある千葉市にある。
 大川美術館は実業家の故大川栄二氏が自身のコレクションを公開するため1989年に出身地の群馬県桐生市に設立した。エコール・ド・パリの画家たちをはじめ、板倉夫妻と同時代の近代絵画を多数所蔵している。
 市は展示公開の機会をつくり夫妻の画業の顕彰に努めるという。

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