本よみ松よみ堂
林真理子著『小説8050』
7年間引きこもりを続ける息子に向き合う家族の物語
「8050問題」とは、長期高齢化した50代の引きこもりの子供の生活を、80代の親が支えるという問題だ。親が亡くなったり、施設に入ったりして、生活が成り立たなくなった子供が死に至るという事例も起きている。全国には100万人を超える引きこもりがいて、その半数以上が中高年だという
この小説は直接には「8050問題」を書いていない。というのも、この小説の家族は親が50代で子供は20歳になったばかりだからだ。だが、「8050問題」という言葉は小説の最初の方から出てくる。家族の住む家の近くでパトカーが止まった。その家は近所の人に空き家だと思われていたが、中年になった息子が一人で住んでいた。母親が亡くなったことで借地契約が終わり、裁判所の執行官と弁護士が立ち退きの強制執行に来たのだ。息子はおとなしくタクシーに乗せられていった。
この光景を目の当たりにした正樹と節子の夫婦は、自分たちの息子・翔太の30年後の姿を見るような思いがした。翔太の不登校が始まったのは中学2年の時。正樹は親から引き継いだ歯科医院を経営しているが、時代とともに流行らなくなってきた。そこで、息子は歯学部ではなく医学部に入れようと思い立ち地元の公立ではなく私立の中高一貫校へ進学させることにした。
「もう二度と、あいつらのいるところに行きたくはない」。
翔太の言葉から、夫婦は学校でのいじめを疑ったが、担任と校長はいじめの存在を否定した。それから7年、 引きこもりの原因も分からないまま時が過ぎていった。夫婦も翔太の存在を見て見ぬ振りをしてきた。
だが近所で起きた事件、そして翔太の5歳上の姉・由依が結婚したいと言い出したことで、夫婦は翔太の引きこもりにもう一度向き合わざるを得なくなった。由依は中高一貫の女子校から早稲田の政経に進学。大企業に就職した。由依の相手は同じ会社の2歳年上で一橋を出ているという。由依は、一人息子で育ちの良い彼に引きこもりの弟がいることを言えず、医学部受験を目指して浪人している弟がいると嘘をついている。由依は弟の事を何とかしてくれと迫ってきた。昔は仲が良かった姉と弟だが、由依の弟に対する気持ちもすっかり冷めているようだ。
ある意味珍しいことだが、登場人物の誰も好きになることができなかった。翔太が引きこもりになった原因については、ここでは書かないが、そもそも父親が医学部に入れようと思ったことが間違いだったのではないか。歯科医がダメなら医者。なぜこんな狭い選択肢しか子供に与えないのだろう。医者はある意味特殊な職業だ。適性もあるのに、なぜ成績が良いというだけで医者にしたがる親が多いのか、昔から不思議だった。
この小説は父親の正樹の視点から書かれている。だから、正樹が主人公と言えるのかもしれないが、正樹のことが好きになれない。翔太が本当はどう思っていたのか。そこがもっと知りたかった。
物語は高井守という弁護士に出会うことで大きく展開していく。 高井は都立の底辺校から無名の私立大学に進んだが、国立の法科大学院を出て弁護士になったという変わり種だ。学校でのいじめ問題に詳しいという。
高井の言葉にはいくつか心に残るものがあった。
「いじめっていうのはな、人の魂をぶっこわすんだよ。十三歳、十四歳の魂はよ、いちばんやわらかくてふわふわしてるんだ。傷つきやすい、なんてレベルじゃない。一度ダメージ受けたら、もう元には戻らないぐらいなんだよ」(P267)。
「加害者はいつまでたってもバカなんですよ。目を閉じればイヤなことを忘れられます。だけど被害者は違う。ずっとそのことばかり考え、自分を問い糺(ただ)していく。いわば賢人となっていきます」(P367)。
【奥森 広治】