本よみ松よみ堂
柳美里著『JR上野駅公園口』
上野恩賜公園を彷徨う「昭和」を作った男の魂
最初に読んだ時、読みにくい本だなあと思った。過去と現在、そして未来が行き来する。脈絡もなく差し込まれる公園を訪れた人たちの声やラジオの音。最後まで読んで振り返ると、なるほど主人公の男はすでに魂となっていて、上野恩賜公園をさまよっているのだと気づいた。そう思って最初から数ページを読み返すと、最初読んだ時にはすっきりと入ってこなかった文字たちが意味を結んだ。
この小説の「現在」は2006年だ。昭和8年(1933)に生まれた男は73歳になっていて、上野恩賜公園でホームレスとなっている。上野恩賜公園のホームレスには東北出身者が多いという。男の郷里は福島県相馬郡の八沢村(やさわむら)だ。家は貧しい農家だった。終戦の時は12歳で、下に7人も弟妹がいて、国民学校を卒業すると、いわきの小名浜漁港に出稼ぎに行って住み込みで働いた。前回の東京オリンピックが行われた昭和39年(1964)の前年には東京に来て、オリンピックのための建設工事に携わった。東北、北海道でも働いた。60歳になるまでずっと出稼ぎの生活が続いた。盆暮れにしか家に戻らず、幼い娘と息子はたまにしか帰ってこない父親になつかなかった。「飲む打つ買う」はせずに真面目に働いた。
天皇家の方々が上野恩賜公園にある博物館や美術館を観覧する前に行われる特別清掃「山狩り」の度にホームレスたちはテントをたたまされ、公園の外へ追い出される。
男は少年の日に郷里の駅前で見た昭和天皇の行幸の高揚感を今でも覚えている。上皇陛下と男は同じ年に生まれた。息子は難産の末に皇太子浩宮徳仁親王(現在の天皇陛下)と同じ日に生まれ、一字をいただいて浩一と名付けた。
昭和に生まれ育った人にはこの時代に特有の皇室との距離感と親しみがあると思う。それだけに「山狩り」で味わう隔絶は痛みを伴うのではないだろうか。
親しいホームレスのシゲちゃんはインテリで上野公園の歴史にも詳しい(ちょっと詳しすぎて説明的だなと思う嫌いもあるが)。シゲちゃんはコヤと呼ばれるテントに投げ込まれた子猫をエミールと名付けて可愛がっている。アルミ缶を売って作ったお金で去勢手術もして、雨の日には傘を立てかけてやり、お金がある時には何よりも先にキャットフードを買う。以前に紹介した著者の作品にも猫が登場した。著者の作品はあまり読んだことがないが、よく犬猫が登場するのだろうか。
「ホームレス」という言葉でくくってしまうと同じ顔にしか見えないが、当たり前だが、それぞれに別の人生がある。シゲちゃんは何かの事情があって、逃げるようにホームレスになったようだ。
だが主人公の男がなぜホームレスになったかについては、どうも腑に落ちなかった。もっと娘さんや孫娘など残された家族のことを思って欲しかった。
出版時に書かれた著者のあとがきによると、著者は2006年に上野公園近くのビジネスホテルに泊まって「山狩り」の取材を3回行ったという。その中に主人公の男のモデルになるような人がいたのだろうか。
70代の男性に「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と言われたという。私も「在るひと」だから「解らない」のだろうか。
「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。2020年オリンピック・パラリンピックを日本に!」という上野恩賜公園に掲げられた看板が男の目に入る。コロナ禍で人命がかかる選択となったオリンピック開催が強行されようとしている今読むと、「夢の力」という言葉が空々しく映る。
この作品は2014年3月に出版された。昨年「全米図書賞」というアメリカで最も権威のある文学賞を受賞した。
【奥森 広治】