本よみ松よみ堂
宮部みゆき著『火車』

新潮文庫 1100円(税込)

カード社会の深い闇をえぐる社会派推理小説

 読み始めるまで古い本だということを知らなかった。というのも現在でも普通にベストセラーとして書店に並んでいたからだ。それもそのはずで、山本周五郎賞を受賞、「このミステリーがすごい!ベスト・オブ・ベスト」(20年間)で1位だという。発行は平成4年(1992)7月、双葉社より。私が手にしたのは新潮文庫である。
 1992年を「今」として、1980年代後半ごろから数年間が物語の背景となる時代だ。私は1986年に大学生になり、90年に就職した。その頃の記憶を手繰り寄せながら、そういえばこんな時代だったかと思いを馳せた。
 主人公の刑事、本間俊介は公務中に怪我をして休職している。 常磐線で松戸の隣、金町駅が最寄りで、水元公園の近くの公団住宅に10歳の息子・智(さとる)と二人で暮らしている。妻の千鶴子は3年前に事故で亡くなった。その千鶴子のいとこの子供という遠縁の青年・栗坂和也が訪ねてきた。失踪した婚約者の関根彰子(しょうこ)を探してほしいという。銀行員の和也は彰子のクレジットカードを作ろうとして、彼女が自己破産していたことを知った。そのことを彰子に確認したところ、彼女は姿を消した。
 本間は彰子の昔の職場や自己破産を担当した弁護士を訪ね、調べるうちに、「関根彰子」という女性と、和也の婚約した女性は別人ではないかと疑念を抱く。
 今から30年前。こんなに違うのかと思うほど、世の中の風景が違う。というのも、この時代、まだインターネットも携帯電話もパソコンもないのだ。 物語上の都合なのか、それとも事実そうだったのか、個人情報の保護についてもかなり甘い。
 物語の大きな柱の一つになっているのがカード社会の怖さだ。私が弊社に転職して記事を書き始めたころ、「多重債務」「自己破産」という言葉をよく聞いた。
 個人的な経験としてもクレジットカードの返済で家計が自転車操業になっていた一時期がある。それに懲りた私は、今では1枚もクレジットカードを持っていない。
 新卒で就職した会社には同じような自転車操業をしている若い同僚が何人かいた。私がクレジットカードを持ったきっかけは、英会話学校の会員証だった。最初は会員証にクレジット機能が付いていることを気にも留めていなかったのだが、たまたま月末にお金が足りなくなってクレジットの存在に気づいてしまった。これがいけなかった。知らず知らずのうちにクレジットカードを持たされてしまう。そんな時代だった。
 苦労して返済し終わった後、同じ額の貯金にかかる時間の短さに驚いた。それだけクレジットの利子というのは怖いのだ。
 ここ数年ラジオを聴いていると、「過払い金」のコマーシャルが1日に何度も流れる。あの頃の残像を見ているようだ。
 息子の智、会社を退職して男ながらに家政婦をしている井坂恒男など、本間の周辺には穏やかで善良な人物が多い。反面、本間が調べる「関根彰子」の人生は壮絶だ。
 宮部さんの作品はいつもとびきりの長編だ。この作品も文庫本にして約700ページあった。活字中毒者にはたまらない。読者は、主人公の本間とともに、長い推理の旅を続けてきたように感じるだろう。その長い旅の最後に見る光景は…、正直、ラストは賛否が分かれると思う。
【奥森 広治】

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