松戸の地名の由来(4)
地名はその土地の歴史と深く関係している。地名の由来を知ることは、地域の歴史を知ることでもある。あなたの街の地名にはどんな由来があるだろうか。
高塚新田(たかつかしんでん)
八幡神社の背後にあった高い塚。高塚は明治13年参謀本部陸軍部測量局二万分之一尺地図によると、当地域で最も高い標高30・7メートルを記している。
明治大正のころまでだろうが、江戸川河口付近を航行する船の船頭たちは、はるかに遠望できた高塚新田の八幡神社の森を目標とし、自分の船の位置を知ったという。
田中新田(たなかしんでん)
田中山ともいう。新田開発した際、行徳の田中三左衛門が関係したことによるという。
常盤平(ときわだいら)
松戸市は昭和34年、常盤平団地造成にともなって、団地の名前を公募。228通の応募があり、新京成勤務の青木正次郎さん(当時33歳)の「常盤平」が選ばれた。常盤平団地30周年を記念して同団地自治会が発行した「ふるさと常盤平」に63歳になった青木さんの言葉が載っている。「新団地名を公募しているのを知って、初めは、常磐台と常盤台を考えましたが、この地域があまりにも広々としていて、すばらしい団地ができると考え、台でなく、平がふさわしいと考えました。それに自然林も多く残っていて、緑の団地になると思ったので、常盤平と書いて応募したのです(以下略)」。
同団地のある場所はもともとは金ヶ作という地名だったが、団地名が決まって2年後の37年8月1日には地名も常盤平に変更された。
伝兵衛新田(でんべえしんでん)
慶長末年に小金領主高城氏の家臣だった戸張伝兵衛が、入植開発したことによるという。
二十世紀が丘(にじゅっせいきがおか)
二十世紀梨の原産地であることからつけられた。
根木内(ねぎうち)
根古屋内の転化という。根古屋は中世後期山城(やまじろ)の麓にあった城主の館やその周辺の屋敷地。
※参考文献=「あきら」(グループ モモ企画、足利谷久子編集)、「角川日本地名大辞典」、「松戸の歴史散歩」(千野原靖方・たけしま出版)、「ふるさと常盤平」(常盤平団地自治会編集、常盤平団地30周年記念事業実行委員会発行)、「松戸の寺 松戸の町名の由来 松戸の昔はなし」(松戸新聞社)、「松戸史余録」(上野顕義)、「改訂新版 松戸の歴史案内」(松下邦夫・郷土史出版)、「江戸川ライン歴史散歩」、「二十世紀が丘区画整理誌」(都市部開発課編集・松戸市発行)、「新京成電鉄沿線ガイド」(竹島盤編著・崙書房)、「わがまち新生への歩み」(松戸市六実高柳土地区画整理組合)、「日本城郭体系第6巻」(松下邦夫・新人物往来社)