本よみ松よみ堂
柚月裕子著『慈雨』
16年前の事件に残る悔恨。遍路旅の元刑事が真相に迫る
この小説は主人公の神場智則(じんばとものり)が見る悪夢から始まる。
神場は山中で腰丈まである笹を捜索棒でかき分けながら行方不明になった幼女を探している。自分の周りの捜査員を見ると、10年前に亡くなった父親、高校の同級生だった女子生徒、所轄の同僚、駐在時代の住民など、みんな自分が人生で関わってきた人達ばかりだ。神場は幼女を発見するが、すでにこと切れていた。
神場が寝ていたのは徳島県の一番札所、霊山寺(りょうぜんじ)の近くにあるお遍路宿だ。隣には長年連れ添った妻の香代子が寝ている。群馬県警を定年退職した神場は妻と二人で四国八十八ヶ所を徒歩で巡礼する旅に出た。これから始まる巡礼の旅の前日に見たこの夢は16年前に起きた事件だった。神場はこの夢を度々見るという。深い悔恨があるのだ。
やがて神場は、酷似した事件が再び群馬県で起きたことをテレビの報道で知る。16年前の事件の犯人は逮捕され、懲役20年の判決を受けて現在も服役中のはずだ。胸騒ぎが止まらない。神場は元部下の刑事・緒方圭祐に連絡を取り、捜査に協力することになる。
神場は2か月にも及ぶ巡礼の旅の間にこれまでの人生を思い起こす。一方で群馬県では幼女誘拐殺人事件の捜査が進む。過去と現在が巡礼の旅を通して絡み合っていく。
神場が思い起こす数々のエピソードから、彼がいかに実直で真面目な刑事だったかがわかる。寒村の駐在勤務から刑事になったという叩き上げ。後輩の緒方はそんな神場を尊敬している。しかし神場自身は自らを弱い人間だと思う。
今はどうか知らないが、駐在勤務は妻帯者が対象になるという。神場も駐在勤務を機に見合い結婚をした。妻の香代子は朗らかな性格で、辛い駐在勤務を支えてくれた。後輩の緒方は一人娘の幸知の恋人でもある。だが刑事の妻がいかに辛いかを知っている神場は二人の交際を認めていない。
ミステリーはあまり読まないので、トリックなどミステリー独特の仕掛けについての評価はわからないが、謎解きという推進力はあったと思う。一方で、神場の仕事や家族をめぐる物語は十分に読み応えがあった。作品としての力点はむしろこちらにあるように思う。
駐在勤務から刑事になれるというのは稀なことだという。そういった意味で神場は仕事の上である程度の成功を収めている。情熱をもって長年仕事をし、同僚や後輩の尊敬も得ている。だがそんな神場でも後悔はあるのだ。やはり後悔のない人生というのはないのか。そんな思いがした。【奥森 広治】