松戸この1年を振り返る
記者が見た聞いた2020年
あと2週間ほどで2020年も終わり。今年はどんな年だったのか。1年を振り返ります。【戸田 照朗】
今年の1月12日に発行した松戸よみうりでは、東京オリンピックの聖火リレーの松戸ルートと聖火ランナーに選ばれた方の紹介をした。今思えば、ずいぶんと穏やかな出だしだった。約1年後、こんなことになっていようとは、予想もできなかった。
松戸での聖火リレーは今年の7月4日に行われる予定で、3日間を走る千葉県の聖火リレーのアンカーとして松戸中央公園でセレブレーションという締めくくりの行事が行われることになっていた。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で東京オリンピック・パラリンピックの開催自体が1年延期になった。松戸での聖火リレーは来年7月3日に同じルートで行われることになっている。
政府や東京都の関係者は是が非でも開催したい意向のようだが、多くの人は「本当に開けるのか」と疑問に思っているのではないだろうか。
実は私もそのひとり。イギリスやアメリカではワクチンの接種が始まったようだが、日本では早くても来春だという。もし、オリンピックの開催までに国民が接種できて、国内の感染が収束に向かったとしても、ワクチンを買えない発展途上国の選手が参加できないというようなことになりはしないだろうか。フタを開けてみたら、参加国はお金持ちの国だけというようなことになれば、「平和の祭典」といわれるオリンピックにふさわしくないと思う。
タイトルは例年のとおり、「記者が見た聞いた2020年」としたが、実は見たり聞いたりすることがほとんどできない1年だった。
3月以降は市主催の行事がのきなみ中止。図書館、博物館なども休館になった。桜まつりも、松戸花火もなかった。ちなみに、松戸花火は新型コロナウイルスの影響で中止になったのではなく、夏に東京オリンピック・パラリンピックが予定されていたので、警備員不足が予想されることなどから、中止にしたと聞いている。
1月29日に中国・武漢市から政府チャーター機で帰国した邦人191人を、検査結果が出るまで「勝浦ホテル三日月」が受け入れた。外出できない滞在者に、住民が砂浜に応援メッセージを書いた光景を記憶している方もいるだろう。新型コロナ関連のニュースとしては、最初期のもののひとつ。まだこのころは、水際で食い止めれば大したことにはならないだろうと、多くの人が思っていた。
松戸市では、2月6日に「松戸市感染症対策本部」を立ち上げている。28日には、安倍晋三首相が全国の小中高に休校を要請して、学校現場が混乱した。経験のないことなのでしょうがない面もあるが、2月になると、行政の方もバタつき始めた。そして、東京都や千葉県など7都府県に緊急事態宣言が出たのが4月7日だ。
この原稿を書いている12月17日には、全国で3214人、東京都で822人の新規感染者が確認され、事態は4月よりはるかに深刻になっている。なのに、緊急事態宣言は出ていない。8月28日に持病の悪化を理由に辞意を表明した安倍首相に代わって総理に就任した菅義偉首相は、なかなかGoTo事業の停止を決めず、感染症対策よりも経済を優先しているように見える。この事業は本来は感染収束後に実施するはずだった。結局、年末年始のみ一時停止が決まったが、それで十分だろうか。
政策の基準があいまいでよくわからないこと、検査が簡単に受けられないために、だれが感染しているかがわからないことが、混乱といら立ちを助長していると思う。
8月に松戸市立総合医療センターが市内に本社がある企業が開発した全自動PCR検査装置を導入したが、当面は救急患者に使用するとのこと。市民が気軽に検査を受けられるわけではない。
私の行きつけのクリニックの院長は、熱があるとどこの病院も患者を受け入れないことから、定期的に予約診療に来院する患者のために、発熱外来を始めた。「風評被害で患者が減るかもしれないが、やるしかない」という。「本当は松戸市立総合医療センターが発熱外来をつくるべきなのに」と嘆いていた。
今年は新型コロナウイルス感染で、志村けんさん、岡江久美子さんが亡くなられた。三浦春馬さんと竹内結子さんは自死したと言われている。野村克也さんや小松正夫さんなど、今年は訃報に接する機会が例年よりも多かった気がする。
心よりご冥福をお祈りいたします。