本よみ松よみ堂
加藤陽子著『それでも、日本人は 「戦争」を選んだ』

新潮文庫 800円(税別)

 戦前の日本はなぜあんなことになってしまったのか。学校で近代史を学んでからの長年の疑問だった。いつか読みたいと思っていた本なのだが、この機会に手に取ることにした(平成21年に朝日出版社より単行本発行。平成28年に新潮文庫発行)。「この機会」というのは著者が例の日本学術会議の問題で任命拒否された学者の一人だからだ(東京大学文学部教授)。
 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争について栄光学園の中高生に対して行った5日間の講義という形で書かれている。平易な文章で読みやすいが、内容を理解するには最低限の基礎知識が必要なのではないかと感じた。
 「スッキリわかった」という気分になれることを期待して読んだが、読了後の気分はむしろ逆だった。まだなんだかモヤモヤしている。著者は右や左に偏ることなく、歴史学者として淡々と史料やデータをもとに話していく。「材料は提供しますから、あとは自分で考えてくださいね」。そんな感じである。だからこそ、ひっかかる部分、印象に残る箇所も人によって変わるかもしれない。
 私が思ったのは、民主主義って難しいな、ということ。一定の制限(直接国税15円〈後に10円〉以上を納める男子にしか選挙権がなかった)があったにせよ、戦前の日本にも、選挙があり、政党があり、国会(帝国議会)があった。選挙に勝つことを第一に考える政党は、ベストの政策を取ることができない(例えば、有権者が一定以上の金持ち=地主だったため、地主が気に入る政策を取った)。これは今の日本の政治にも当てはまるのではないだろうか。そもそも政党政治には限界があるということか。では何がベストかというのも思い当たらない。 まさか独裁政治に戻るわけにもいかない。
 第一次世界大戦から戦争の様相が変わった。世界全体では3000万人もの戦死傷者を出したが、日本の参戦は限定的で、戦死傷者は1250人だった。それでも第一次世界大戦後、戦争に対する考え方の変化は日本にも大きな変化をもたらした。第一次世界大戦は人類初の国家の総力戦だったのだ。
 欧米諸国の植民地政策が経済的あるいは社会的な政策(失業対策など)であったのに対して日本の植民地政策は安全保障(国防、次なる戦争への準備)という側面が強いという点で、かなり特徴的なのだという。具体的にはロシア(旧ソ連)への備えと、資源の確保である。国は引っ越すことができない。隣人も変わることがない。この点は今も昔も濃淡の違いはあるにせよ、変わらない。
 また、この著書では、歴史上の人物の横顔についても様々書かれている。それにより私の印象も変わったところがある。例えば山県有朋と松岡洋右は歴史の教科書で習った時にはかなり悪い印象があり、私の嫌いな歴史上の人物ワースト1、2位である。松岡洋右は日本が国際連盟を脱退した時の全権代表で、強硬派のイメージが強いが、冷静な側面も持ち合わせていたようだ。人間だからいろんな顔を持っていて当たり前といえば当たり前だが。ちなみに元老の山県有朋は陸軍に絶大な影響力を持っていた。陸軍が困った問題児であったことは印象通りだったが、記述はないが、もしかすると陸軍が酷くなったのは、山県有朋の死後かもしれないと思った。
 知らなかった人物を知ることもできた。 中国の胡適(こてき) という人物はすごいと思った。日中戦争が始まる前の1935年の時点でアメリカとソ連を巻き込まれなければ中国は救われないと考え、「アメリカとソビエトをこの問題に巻き込むには、中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、2、3年間、負け続けることだ」と言ったという。当時アメリカは海軍増強が間に合わず、ソ連は国内問題で、日中のことに関心を持つというような状況ではなかった。日中戦争は短期間で終わると考えていた日本の意に反し、中国は多くの土地を占領されても降伏しなかった。日中戦争が長引く中で、ついに太平洋戦争(アメリカとの戦争)がはじまり、戦争末期にソ連も参戦した。胡適の言った通りになったのである。
 戦後、国際連合が作られた。戦勝5か国と言われる国々が常任理事国を務めている。戦勝5か国とは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国のことで、早々にドイツに降伏したフランスと日中戦争を戦っていた中国については「戦勝国」という響きに違和感がなくもなかったが、なるほど中国は戦略的に連合国の戦勝に貢献したようだ(日中戦争はお互いに宣戦布告がなかったが、太平洋戦争が始まると中国は日本に宣戦を布告した。ただし、当時の中国は台湾に行った国民党政府で、現在の共産党政府とは違う)。
 なぜ日本人は戦争に突き進んだのか、というモヤモヤは晴れることはないかもしれないが、今後もいろんな本を読んで考えていきたいと思う。
【奥森 広治】

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