本よみ松よみ堂
馳星周著『少年と犬』

文藝春秋 1600円(税別)

出会う人の心を癒す犬。旅の果てにあるものは

 田舎に住んでいる両親の犬を引き取ることにした。高齢の母親が犬を連れて散歩することに以前から不安を感じていたが、ちょっとしたトラブルがあり、これを機に決断した。10歳の柴犬の雑種で、人間で言えばもう60歳ぐらいになるだろうか。あと何年生きてくれるかわからないが、穏やかな余生を送れるように、大切にしたいと思う。
 コロナ禍で田舎に帰ることもままならないが、便利な世の中で、宅配の業者に頼めば、ドア・ツウ・ドアで犬を運んでくれるという。犬の移送はこの新聞が発行される25日。順調にいけば夕方には我が家に着いているだろう。
 犬との生活が始まってからこの本を読んだほうが、味わい深いかとも思ったが、待ちきれずに読んでしまった。第163回直木賞受賞作である。
 この小説を読んでいて、犬を手放すことになってしまった母の気持ちも思った。
 「男と犬」「泥棒と犬」「夫婦と犬」「娼婦と犬」「老人と犬」「少年と犬」という6編からなる連作短編集のようになっている。多聞(たもん)というシェパードと和犬のミックスが、東北から南(西)へ旅をする。旅の途中で出会った人たちとの出会いと別れが綴られている。物語が始まるのは、東日本大震災が起こってから半年後の仙台。
 コンビニの駐車場で男(中垣和正)は多聞と出会った。和正は多聞の飼い主は震災で死んでしまったのかもしれないと思う。ガリガリに痩せて腹を空かせているが、飼い主のしつけがしっかりしていたのか、多聞は賢くおとなしい。
 多聞が出会う人たちは、みな生活苦や心の傷を抱えている。心の隙間を多聞が埋めてくれ、多聞の澄んだ瞳に引き込まれる。自分の犬にしたいと思うが、いつも南(西)の方を見ている多聞を見て、多聞には南(西)に大切な人がいると気づかされる。埋め込まれたマイクロチップから多聞は釜石で飼われていたことが分かっているが、 南(西)は逆の方角だ。多聞の旅の果てには何があるのだろうか。
 犬が何百キロも旅をして飼い主の元に帰ったという話をたまに聞く。狩猟採集の時代から人間と暮らしていた犬には、人との間に特別な絆があるのだろうか。私はどちらかと言うと猫専門で、長い時間犬と暮らしたという経験はない。これからの生活で犬の秘密もわかるのかもしれない。【奥森 広治】

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