わたしのページ(読者投稿)2020年7月26日

スイカさんの作品

75回目の終戦記念日を迎えて…
 東北の片田舎で終戦を迎えたのは、4歳の夏でした。空襲警報が鳴ると、皆で家の前の畑に父が作った防空壕に逃げ込みました。逃げ込む間がない時には、家に入り雨戸を閉め、押し入に入り、布団にもぐり、息を殺していました。母は仏壇の前に座り、「南無妙法蓮華経…」と空襲警報が解除になるまで唱えておりました。解除後、恐る恐る外へ出てみますと、家の裏には、薬きょう(鉄砲の弾丸を打つのに必要な火薬を詰める真鍮製の筒型の容器)が沢山落ちていました。真鍮製なので、集めて高く売れたと聞きました。そして終戦。
 防空壕は雨が降ると小さい池になって、兄弟の誰かが落ちて、すぐ畑に戻しました。
 食べるものも、着るものも無く、大変でした。お米や砂糖など配給があり、並んで買いました。畑で作る物は、お腹を満たせる物がほとんどでした。お昼は、ジャガイモとかぼちゃを煮たもの。夕食は大根や、大根の葉を刻んだ物を入れた麦飯でした。田の畔に出ている芹、あかざ、イナゴなど等、兎に角お腹を満たせることでした。
 町に出ると、傷痍軍人が白い着物を着、片腕、または松葉杖をついて、片手でハーモニカを吹いて、街角に立っておりました。戦争に駆り出され、負傷し、生活に困って、こうして街角に立っている姿は、子ども心にも痛々しすぎました。
 当時、電気がなく、夜はランプを使っておりました。石油を入れた容器に、タコ糸のような太い糸を垂らし灯すのです。その上に被せる透明なガラスのホヤの掃除係で、ホヤの中に「ハーハー」と息を吹きかけ、良くもんでやわらかになった新聞紙で煤を拭き取ったものです。夜はそのランプを囲んで夕食をとり、その後母は、ランプの下で、子どもたちの衣類の繕いをしておりました。農繁期には、小学生も学校が休みになり、田畑の仕事を手伝ったものです。
 「昭和は集団で一本の道を登る時代だった」と言われる所以でしょう。
 「平成は、先送りの時代」。令和は、何に向かっているのかなと、色々と思わせられます。(松戸住民)
コロナで今までの常識なくなる
 我が家の近くに小学校がありまして、例年ですと学童の方々が朝方はラジオ体操、昼間はプールを楽しんでおりましたが、今年はコロナの影響ですべて中止。地元の盆踊りや花火大会なども中止に追い込まれた状況です。
まして夏の暑い日にマスク着用など、今までの夏場に体験したことがない生活を強いられています。
 コロナで今までの常識が無くなり、いろいろなシーンで考えられない日常生活の連続です。マスクの次はうがい薬など、何を信じて良いのか困った世の中です。
 一つ言えることは、コロナもいずれ無くなることを信じ、今までの普通の当たり前の生活が戻ってくることを期待し信じ続けるという思いだけは持ち続け生活していきたいと思います。
 自分と家族、またまわりの方々に気を配り生活していきたいと思います。
(胡録台 S・O)
来夏は思いっきり楽しみたい!
 今年は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、松戸市の花火大会をはじめ、地元町会の盆踊り、その他多くの夏祭りが中止となりました。今までも天候不良などで中止となった年はありましたが、ほとんど全ての行事が行われないというのは初めてで、何とも言えぬ寂しさを感じます。
 花火大会が始まる期待感でワクワクする気持ちが溢れる会場。夜空に広がる色とりどりの光と豪快な音。湧き上がる歓声と拍手、そして笑顔。
 小さな子どもから大人まで楽しめる地元の盆踊り。暗闇で灯る提灯のやわらかな光。心地よく響く太鼓の音。輪になって楽しそうに踊る人々。
 屋台から漂ってくる美味しそうな匂いに、出来たてを頬張る幸せ。地域の人々との交流。帰省した人々の再会。子どもたちの楽しそうな笑い声。
 風に乗ってかすかに聞こえてくる夏祭りの音も心地よく感じる日本の夏。
 残念ながら今年はお預けとなりましたが、そのぶん来年の夏は思いっきり楽しみたいと思います。
(稔台・ほたる)
給付金10万円悲喜こもごも
 8月に国が支給してくれた10万円をもらった。水道管から黒い粉のようなものが出ていて、娘から「気持ちが悪くて水が飲めない。何とかして欲しい」と言われていたので、水道屋さんに頼んで直してもらった。4万円だったので残りは孫に渡すなどした。
 娘は「携帯電話が壊れたので最新式のものを買ったらすぐなくなっちゃった」と言っていた。もう一人の娘の所は、中学3年生の息子がゲームをやり携帯電話会社から20万円の請求書が届いたので、給付金をその支払いにあてたと嘆いていた。
 悲喜こもごもの10万円給付金だったなあと思っている。
(匿名希望)

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