わたしのページ(読者投稿)2020年5月24日
75歳の手習いとして始めました
松戸市の広報に掲載されていた記事に応募して、古文書を75歳の手習いとして始めました。
目的への到達は漠としていますが、基本書を読んでみたところ近世古文書を現代のわたしたちが読めない理由がつぎのように書いてありました。
現代では使用されてない「ひらがな」と「漢字」が多く使われているからである。
変体仮名(現在使われていないひらがな)が明治初期の子どもたちが学ぶ教科書から徐々に消えてゆき、明治33年の小学校令でひらがなは一音一字と決められ教育で教えられなくなったからということ。
以上の経緯から近世文書によく出てくる「変体仮名」と「旧字の漢字」は明治初期の初等教育では現役だったというわけです。
明治初期の小学生に我が身を置けば基礎は身につくということのようです。果たしてどうなりますことか。お楽しみです。
(三矢小台・薬師寺紘章)
再び良書手にとれるその日まで
「読書尚友」という四字熟語をどこかで読みました。わたしはご飯のつぎに本が好きです。友人のご主人も常に読書をしていて「本が一番好きで、そのつぎはミチ子が好きだよ」と言っていた、とそのミチ子さんから聞きました。
今から7年ほど前、わたしはカゼから体調を崩して入院し、その1か月後に退院して施設へ移りました。入所して体が徐々に回復してくると時間を持て余すほど退屈になり、でも高齢者の身で環境が変わってもう本など手に取ることはないだろう…、気力も衰えてきているから…、と諦めの心境に達しました。
ある日のこと、入居して知り合った方の室を訪ねるとモダンな装幀のエッセイの本がテーブルに置かれていました。その方はわたしよりも6歳年上で大正生まれとのこと。物静かな女性です。思わずびっくりして「本を読まれているのですか?」と聞きました。すると、彼女は「ここに市の移動図書館がきているのよ」と教えてくれて、それを聞いたとき、ずいぶん行き届いたところだなと思ったのです。
その後、わたしは図書館が来る日にラウンジへ行ってみました。すると、棚は3段あり4台の書架(短めのタンスくらい)が運び込まれていて、大活字本や多種類の本が分類されてぎっしりと書架に並んでいました。
わたしは、久しぶりに本を手にすると借りてみようかなという気になり、その後は月2回届けて下さる日を待つのが楽しみになりました。新刊本を申し込むと順番が回ってきた時に読めます。新刊は特に魅力です。賞を受けた人のや現代の知識も得られて刺激をもらっています。それに、装幀を見るのが楽しみで表紙の手ざわりも好んでいます。
今の暮らしは、公的機関の図書のおかげでありがたい恩恵を受けていることに感謝でいっぱいです。
4月、花々が咲き誇る中、新型コロナウイルスとの戦いで図書館は休館になりました。終息するのはいつでしょうか。我が身を守り他の人に迷惑をかけないよう耐えて乗り越えて、再び良書を手にとれる日が来ることを待ち望んでいるところです。
(小金原・小倉芳子)
コロナなんかに負けてたまるか
コロナ問題が未だ収束が見えない現実社会ですが、やはり学校が休み、また普段外に出かけて働いている人々も家庭での日常生活を余儀なくされていることと思います。
最近、話題になるのは家庭内のさりげない会話で口喧嘩、またその一端として親子の意思疎通がうまく出来ていないみたいです。コロナが起こす病原体以外、人間関係のトラブル等があるということです。
今こそ、各一人ひとりが互いを敬って日々の生活を送ることが必要と思われます。よく食べて、充分な睡眠、また適度な運動が免疫力向上に必要不可欠と医学学会でも奨励されています。ストレスをなくし、家庭円満で今の難局を乗り切っていけるようわたし自身、まわりの方々に声をかけて頑張っていきたいと思っています。
負けてたまるかコロナなんかに。みなさま頑張ってまいりましょう。
(胡録台・普通の生活に)
日本語の乱れで暮らしにくく…
時代の変化ですから仕方がないとは言えばそれまでですが…。高齢者にとっては、日本語の乱れや片仮名用語がより増えつつあり、日々暮らしにくく思います。
例えば「ヤバい」はその典型的なもので、その範囲が広すぎてあきれるばかりです。良いも悪いも、美味いもまずいも、美しいも醜いも、若者は「ヤバい」と表現し、そして大笑いしますね。
本来の意味での「ヤバい」を使っても、どこか珍妙に聴こえてしまうのか、言ってる自分がこそばゆい感じさえします。
この「若者言葉」、しかるべき手段で、軌道修正は出来ないものでしょうかね。一般的に言われる、「言葉は時代で変化する」で収まってしまうのでしょうか。
また今回のコロナ問題でも、続々とカタカナ語が誕生しました。最初は「テレワーク」でしたが、そのうちに「リモートワーク」となり、「在宅ワーク」も見かけました。「オンライン授業」もいつの間にか「ウエブ授業」に変わりつつあります。
その他、オーバーシュート・ピークアウト・パンデミック・ロックダウン・ソーシャルディスタンス・クラスター等々。
みなさん即、正確な日本語訳は可能でしょうか。
高齢者は特に生きづらくなりました。ああ、昭和もすでに遠くなってしまいました。
(令和が一番か 76)
善意の協力で早い終息を!
百数年前、「スペイン風邪」により世界中で4千万人、日本でも40万人が死亡したとされています。災難は忘れた頃にやって来ると言われています。
どんどん感染者が増加、マスク不足、医療防護服不足、そして医療崩壊と言う言葉まで聞くようになりました。
そんな中多くの方の善意で「マスクや防護服の購入の足しにして下さい」と寄付が寄せられ、仕事を失った人たちの食住を少しでも何とかしなければと、奔走してくださっている人たちが続々と出ておられる。
阪神大震災、東日本大震災、大雨、地震、台風などで被害を受けた所にどれだけの人たちがボランティアとして現地に行き、また多くの寄付が寄せられたことか。
ただ、新型コロナは「3密」を避けなければならないので、ボランティアの難しい部分もあるとは思うが、善意の方々の協力はきっと早い終息に向けて大きな力になることだろう。(常盤平・松戸市民)
広報の周知で十分だったのでは
松戸市の健康推進課から4月と5月の2回にわたって「がん検診等に関する重要なお知らせ」の料金後納郵便のハガキが届いた。新型コロナウイルスの感染拡大のため、5月の集団検診はすべて中止するということと6月以降の実施も未定ということで、4月10日現在の状況の連絡であった。
同時に、「検診再開時には検診を安全に行うため人数制限、受付時間など例年と異なる方法で実施することもあるので了承ください」ということと、「再開時期や実施方法は市のホームページで確認するか健康推進課に問い合わせてほしい」とも記されていた。
このハガキは、我が家にはわたしと妻宛てに2通ずつ計4通配達された。宛名は変更のできるパソコンシールを使用しており、連名にしてシールを作成すれば無駄をさらに防ぐことができるはずで、これらを考慮していただき二重発信を防止できると思います。
しかも「広報まつど」は月2回発行しており、広報で周知すれば十分であったとわたしは思っております。
(高塚新田・松毬)
「始末や」いい言葉ですね
松戸よみうり848号の投稿「簡単には捨てられず困っている」、うんうんと頷きながら拝読しました。
わたしは戦争を知らない50代ですが、「戦時中の物資苦労話」を亡父から山ほど聞いて育ちまして、やはり物は安易に捨てられず、服や靴下を繕っています。「ダーニング」という手芸の方法で、趣味と実益のお直しをしています。
こういうのも変ですが、コロナ自粛もあって自宅で静かに縫い物をする者のほうが、補修せず買い物に行く人よりストレスを小さくできたかも。わたしは周りからケチだと笑われていると思いますがそれでもいいと思っています。
「始末や」いい言葉ですね。わたしの感覚では「始末家」と書くのではと思います。幼い頃の記憶は、成人後の生活にも強く関わってくるのかもしれません。
(牧の原・もなか 56)