本よみ松よみ堂
藤崎翔著『指名手配作家』
「自分」はただの容れ物だと思えば生きやすくなる
ゆるゆるとどこか暗いところに流されていた「ぼく」の魂の前に、いきなり天使が現れた。
「おめでとうございます、抽選に当たりました!」
天使が言うには「ぼく」は何か大きな過ちを犯して死んだ。本来なら「輪廻のサイクル」から外されて二度と生まれ変わることなく消滅してしまうところだが、特別に再挑戦のチャンスが与えられた。小林真という自殺して死んだばかりの少年の体に入って、彼の体と家庭に「ホームステイ」する。この修行をうまくこなせば、「ぼく」は前世で何をしたのかを思い出し、晴れて昇天して「輪廻のサイクル」に復帰することができる。
中学3年生の少年・小林真として生き返った「ぼく」は、真として生活をはじめる。真の家庭には、両親と兄がいるが、「こんないい家族に恵まれて、なんだって真は自殺なんてしたんだろう」と思う。
天使の名前はプラプラという。「ぼく」のガイド役で時々下界に現れる。天界にいた時よりもずいぶんくだけた受け答えで、「ぼく」の相談役のような感じだ。そのプラプラが告げた「ホストファミリーの正体」。それを聞いた、「ぼく」の家族を見る目はすっかり変わってしまった。
プラプラは自殺前の真にショックを与えた桑原ひろかという少女のある行動のことも話した。真はひろかのことが好きだった。
「ぼく」が真の学校に通うようになって分かったのは、真は人づきあいが苦手で、あまり目立たない存在だったということ。いじめられていたこともあるらしい。
そんな真の雰囲気が変わったことに気がつき、異常な興味を持ってつきまとう佐野唱子という少女が現れる。唱子は真のことを知っているようだが、真の記憶にはない。つまり、自殺前の真の眼中になかったということだ。
「ぼく」は真と同じようにひろかのことが好きになり、真の描きかけの絵に筆を入れることで、真と同じように心の安らぎを得てゆく。真の唯一の取りえ、それは画才があることだった。
「ぼく」は真の体の中で、真がどんな少年で、どんな悩みをかかえていたのかを、考えてゆくことになる。
面白いのは、「ぼく」は真の身に起きることに、時に心を痛め、時に怒りを感じながらも、どこか客観的でいられるということ。言ってしまえば、気楽に構えていられるところがあるということだ。
真の体はあくまで借り物。容れ物にすぎない。そう思えるからこそ、一歩引いたところから見ていられる。もしこれが自分自身のことだと思えば、たちまちいたたまれなくなり、目が曇って見えなくなってしまうかもしれない。
プラプラには羽があるし、「ボス」は「万物の父」だというから、キリスト教の神を連想させる。しかし、「輪廻のサイクル」というのは、仏教的な考え方だ。ただし、お釈迦様は最終的に輪廻のサイクルから逃れるために修行されていたはずだから、輪廻のサイクルがいいものということにはならない。
「自分」とはただの容れ物だと思えば、心はより軽く自由になれる。そう考えれば生きやすくなるというのは、生きていく上では大きな気づきではないだろうか。ただ、実践するのはなかなか難しそうだ。
著者は90年に『リズム』で児童文学作家としてデビューし、最近は『みかづき』など、大人向けの小説も多く執筆している。本書『カラフル』は98年に単行本が出版された。
児童文学を出発点とした作家らしく、わかりやすい文体で読みやすい。生と死という重いテーマでもあるのに、どこかユーモラスだ。タイトルには多様な人生への共感と賛辞といった意味も込められているように感じた。 【奥森 広治】