わたしのページ(読者投稿)2019年11月24日
温かみのある絵手紙で年賀状を
令和になり、初めて年賀状を書くシーズンになってきました。
それに伴い知人に紹介され、絵手紙の教室に通っています。外国の人も習いに来られ、かなりの人気になっています。
内容はその時の季節感の旬の野菜、果物等を題材にして描きあげています。最初はうまく描けず苦労の連続でしたが、何とか人にお見せ出来るまでになりました。
完成した絵手紙に少し簡単なあいさつ文と今の近況報告を記して先方に送ると、相手方にも喜ばれて、こちらも大変うれしいです。特に松戸の特産の矢切ネギ、そして二十世紀梨などを描いて松戸の良さをアピールしていきたいと思います。ボケ防止と趣味と交流を兼ねて完成した絵手紙を色々な方に届けていけるように頑張っていきたいと思います。
最近、はがきを書いて先方に差し出すことが少なくなりつつあるということを耳にします。
63円の郵便代で心と気持ちのこもった温かみのある絵手紙を全国に届けられることも改めて認識し、これからも送り続けたいと思います。
(胡録台・絵手紙)
消費増税を機に生活見直し
10月の消費増税を機に、わたしは自分の生活を見直してみました。
まず、コーヒーを飲むのを止めてみました。何となく、健康にも良いみたいだしと毎日飲んでいたブラックコーヒー。しかし、大して好きでもなかったので止めてみました。そうしたら、コーヒーとセットでついつい食べていたチョコレートなどの甘いお菓子も食べなくなり、無駄な出費が減りました。
続いて、ティッシュペーパーを近くに置いておくのを止めてみました。その結果、ほとんど使わなくなりました。ハンカチを1枚用意しておけば、案外どうにかなるものです。すぐ近くにあるから、ついつい使ってしまっていたのです。ちなみにティッシュは、押入れの中に置いてあります。
その他にも、テレビを見る時間を減らしてラジオを聴くようにしてみたら、ラジオから聴こえるおしゃべりが、言葉を想像することが、とても楽しいということに気づきました。別のことをしながら聴けるのもよいですね。
ただ生活を切り詰めるだけでなく、新しいことにも挑戦したり、楽しみながら生活をしていきたいと思います。
お金はたくさんはないけれど、ないことを嘆いて暗い気持ちになるより、住む家があり、美味しくご飯が食べられるといった、今あるものに感謝して明るく笑顔で生きていきたいです。
(稔台・こころ)
令和の若者向きプログラム
秋日和の日曜日、孫(中二)の文化祭に参加してきました。
中高一貫の女子校ゆえに来客数は1万人越え。ゆえに狭い教室は、どこもかしこも人だかりで、廊下のすれ違いはより一層ごった返していました。親子連れが多く、その中にはボーイフレンド一団もチラホラ。一人で恥ずかしそうにしていた少年も見かけました。
後期高齢者のわたしのお目当ては「軽音楽部」。昨年のうちから決めていて、期待に胸がふくらみました。でも、始まってみるとすべてが「令和の若者向きプログラム」。
レモン・打上花火・恋、ぐらいだったら分かるかもと目算していたのですが、オリジナル曲が多く、ラップあり絶叫あり騒音ありのお祭り騒ぎ。周りを見渡してみると若者ばかりで、一人孤立している感じ。ちょっと寂しかったけれど、「これが今の軽音楽なんだ」と認識を新たにし、一つ学習したとでも思うことにした。
「昭和の軽音楽」と言えば、太陽がいっぱい・バラ色の人生・枯葉などですが、実のところせめて1曲でも…、悲しいかなご無用だったようです。
その後は、静かに写真部・登山部・アニメ部をのぞいてみました。個性的で見ごたえある作品も多く、ここでは芸術に包まれた気分になりました。来年は、吹奏楽部・コーラス部、そして文芸部・百人一首部をのぞいてみようかな。
(孫は一番 76)
散歩で弾むおしゃべりが楽しい
秋の日差しは強いけれど、日陰に入れば、空気は澄み、小風が気持ちいい。買物にも、散歩にも最適。少し時間に余裕を持って出かけると、いろんな人とすれ違う。
線路沿いの道を歩いていると、乳母車にゼロ歳児を乗せ2~3歳児の手を引いた若いお母さんが、手を引いている子に「電車が来たわよ」と声を掛けると、「でんしゃ、でんしゃ」と飛び跳ねている。「ピンクの電車だね、格好いいね」と声をかけると、にこにこといろんな事を話しかけてくる。勝手に言葉が口から出てくるというように話しかけてくる。
いろいろと言葉を覚えて話したい時期。我が子や孫もそういう時期があったことを思い出しながらその子にあいづちを打つ。若いお母さんも微笑んでおられる。
ひとしきりしゃべると歩き始める子に「さようなら」というと「さようなら」とかえってくる。お母さんは「ありがとうございます」と言って行かれた。
また、高齢の女性がショッピングカーを押しながら、ゆっくり歩かれてる脇に並んで歩きながら、「お買い物ですか」と声を掛けると、「1日1回は、買物を兼ねて外に出るようにしているんです」とおっしゃる。「涼しくなって来たので、お買い物も楽になりましたね」というと、「そうなの、だから毎日少しずつ買い物を兼ねて外に出るようにしているのよ」と雑談をしながらお家の近くまでご一緒することもある。
時間に余裕を持って出ると、こういうおしゃべりをお互いに楽しむことが出来る。子どもさんや高齢者の方には、自分から声を掛けるようにしている。
(まつどじゅうみん)
小学生の頃の悲しい思い出
わたしには小学生の頃の悲しい思い出があります。
アメリカと戦争になって、日を経るごとに食糧がじょじょに欠乏していき、お米も副食物も配給制度になりました。
ある日のこと、夏はかき氷、普段は甘味を売る店があって、偶然通りかかると行列ができていた。何だろうと思い、近くにいた人に聞いてみると、「あんころ餅」を売っているとのこと。その時代、業者にも物資の統制があって、その中で割り当てがあった時には作って売ったようです(販売の数に制限)。
わたしは行列について順番を待ちました。いつもはなかなか手に入らない食べ物です。少しずつ行列が進むうちに、お金を持ってないことに気付きました。慌てたわたしは急いで家へ引き返すことにして列から離れましたが、家まではかけ足でも片道7~8分はかかりました。
そして、夢中で戻ると店の行列はなくなっていました。アレッと思って、わたしは店へ飛び込んで「売ってください!」と叫ぶと、店のオバさんが「もう終わったよ」と言ったのです。
えっ、とわたしは言ったきりガックリして悲しくなって、泣きべそをかきながらすごすごと家へ帰りました。
先日、こんな歌が新聞の歌壇に投稿されていました。
「貧しくて並ぶ行列ではなくて豊かさゆえに並ぶ行列」
令和の今、このような行列が盛んです。
わたしは子どもの時、味わった惨めで悲しい思い出が忘れられずにいるのです。
でも、世の中には我慢すること…、の精神をこの時に学んだのかも知れません。
(小金原・小倉芳子)
時代の流れと教員の不祥事
この頃、時代の流れと教育現場について考えることがある。
戦時中、軍国主義のうねりのなか、勤労奉仕を強いられ、学業どころではなかった時代から戦後は一変。男女平等教育で進学率は上がり、受験競争は激しくなってゆく。
自分の中学時代だった1980年代は、公立高校間の学力格差をなくそうという社会主義的思想から越境・私学受験を容認しない方針が約20年間も続いていた。
娘が小学校に入学した頃はゆとり教育という方策が取られ、教科書は文字数が少なくイラストが多い内容に驚いたのを鮮明に覚えている。この時代の子どもたちは、勤務先で「これだからゆとり時代の人間は!」と揶揄されることも多い。
そして今や脱ゆとり教育の方向で修正されている。
変革の度に子どもたちや保護者は巻き込まれ、現場の教職員の方々もご苦労されてこられたと察する。
ただ、ここ近年の教員の不祥事はあまりにもひどい。学校長がわいせつ事件で逮捕されたり、教員による教員へのいじめ・暴行、文部科学省の職員が覚せい剤に手を染めるという事件もあった。もう言葉が出ない。
ただ夫はひどいニュースを目にしても驚かない。
「オレの大学時代、教育学部の連中は同棲している女の子を妊娠させて中絶させるっていう例を何件も目にしたよ。そんな奴らが教壇に立つと思ったら背筋が寒くなったもんだ」と言う。
この方々は現在、教育現場で管理職に就いている年代。きっと子どもたちには語りかけているだろう。「命は大切にしなくてはならない」と。
(二ッ木・石井裕子)
旅先での出会いから親交深める
数年前のことですが、箱根へ旅行をしました。
芦ノ湖でお土産物を物色していたところ、ポンと背中を叩く人がいて、振り返ったところ、なんと同じマンションの居住者の方だったのです。
それまでは、あいさつ程度の会話しか交わしたことがなかったため、びっくり致しましたが、それ以来、親交を深めて楽しい時間を過ごしております。
現在は、母親を介護中のため旅行はできませんが、彼女の神精的なフォローを受けながら、至福の時間を過ごしております。
あの時の出会いに、不思議なご縁を感じております。
(常盤平・まほらば 64)