わたしのページ(読者投稿)2019年10月27日
日本列島に勇気と感動与えた!
ラグビーワールドカップ2019で日本代表は日本列島に勇気と感動を与え、惜しくもベスト8で散ってしまいました。
最初はまさかまさかの連続で、あっという間に予選リーグ連勝で1位という好成績。誰もがこの健闘ぶりに心からの拍手で称えていると思います。
ルールも知らなかった方も数多くおられ、しかし勝っていく姿を見て感動した方々が多くおられたと思います。
そして何よりも今回の台風の被災地に勇気づけたことと令和のスポーツ史上に燦然と輝いた桜の団結、選手ひとりひとりに本当に「ありがとう」と感謝し、「お疲れさまでした」と思いました。(胡録台・桜の団結)
庭で起こる出来事を家族で学習
我が家の門扉の前に、低木1本が植わっています。
これは10年ほど前に、双葉を発見したものですが、当初は何なのか判別さえも出来ないうちに、高さ1・2メートルほどに成長しました。
初夏になるとそこに蝶がやって来て、新葉にタマゴを産みつけ蝶になって飛び立っていきました。そんな事を毎年繰り返すうちに、その木がクスノキで、蝶はアオスジアゲハと判明しました。
今年も新葉が茂ると、青虫が葉を食い散らし、次にその青虫の一部は、雀に狙われその姿が急に消えてしまいました。年に3回ほど繰り返されます。場所が門扉の前ですから、
家族は出がけに、木と青虫の様子を確かめて出かけます。
その流れで「クスノキを守るのか」「アオスジアゲハチョウの命を優先させるのか」、それとも思い切って「木を伐採してしまうか」を、「食物連鎖」もあわせ持って、我が家の議論に発展しました。
その結果、今年もチョウを優先する事になりましたが、クスノキの姿は丸坊主で余りにも無残です。
また別のレモンの木、スダチ、山椒も、そちらはクロアゲハ蝶が食い散らしています。
わたしは「庭で起こる出来事」を家族と共に学習しています。
食物連鎖とは、食うか食われるかを繰り返しながら、生物が循環している様を言いますね。
(孫は一番)
新聞との関わり振り返ってみた
10月15日から、「新聞週間」。これまでわたしはどのように新聞と関わってきたか、振り返ってみた。
子どもの頃は、貧しくって新聞を取っていなかった。新聞に少しずつ目を通すようになったのは、20代も後半だろうか。育児と仕事で、大きな見出しに眼を通す程度だった。
新聞をじっくりと目を通し読むようになったのは、60代に入ってからだろうか。散歩、掃除の時にイヤホンでラジオを聴いているが、より詳しく知りたいと新聞を開く。毎日新聞を開く時間をとるようになった。政治、経済、世界の出来事、社会欄、家庭欄と、知らなかったこと、興味のなかったことも、新聞を読んでいるうちに面白くなってくることもある。これはと思う記事は切り抜いて、スクラップ帳に挿む。
新聞社によって、経済、政治等社説が違うと聞くが、読みやすい、理解しやすいという点で、読売新聞を何十年も取っている。不足分は、テレビ、ラジオなども利用しているが、新聞は読みたい時に、自分の理解度ペースで読めるので、解からない単語等、辞書をひいたりして熟読することが出来る。
1番わたしには、世の中を知る材料になった。世の中に目を向けるようになると、自己満足では済まない事も知った。(まつどじゅうみん)
すぐやる課の皆さんありがとう
8月下旬のこと。庭で体操をしていたら、2階の窓枠に蜂の巣のようなものを発見。ブンブン飛んではいないけれど、数匹の蜂がいる。
巣を作っているのか、はたまた巣を襲われて逃げてきたアシナガバチが避難しにきているのか。まぁ、しばらく様子をみてみよう。
翌日、双眼鏡で見てみると、比較的温厚なアシナガバチではなく攻撃性が非常に高いスズメバチに見える。うーん、飛んで来て刺されたりしたらどうしよう…。
その時ふっと、松戸市のすぐやる課の存在が頭に浮かんだ。
さっそく電話をかけて状況を説明。しっかりと話を聞いてくれて、明日には来ていただけるという。ふぅ、これで一安心。
翌日、時間通りに来てくれて、手際の良く、あっという間に蜂の巣を駆除していただいた。お見事。とても役所の仕事とは思えない。
すぐやる課の皆さん、本当にありがとう。助かりました。
すぐやる課は1969年(昭和44年)10月6日に誕生して、今年で50周年。全国初のすぐやる課として、今日まで存続している。
すぐやる課は全国的に評判となり、一時300以上の自治体に同じような部署が生まれたが、行政の合理化や市町村合併でほとんど廃止された。
すぐやる課の理念「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」は本当に素晴らしい精神、そして松戸市の誇るべき伝統だと思う。
毎年夏場はスズメバチ等の巣の駆除・相談の依頼が多いと聞く。とても危険で大変な作業だ。その他に、公道上の動物死体の処理や市が管理する道路上の簡易的な修繕など、日々、市民のために汗を流している。
松戸市に住んで、すぐやる課の存在はずっと知っていたが、今回初めてお世話になって、あらためてその存在に意義を感じた。
松戸市すぐやる課の皆さん、お身体を大切に、これからも頑張ってください。(招き猫)
東部分館で歌集「梨香台」発見
松戸市立図書館東部分館で歌集「梨香台」を発見した。松戸市高塚新田に住む塩入照代さんの作品を2000年から10年秋までの450首を収めた歌集で、第1集の「停年の譜」に次ぐ第2集とのことです。
先生と仰ぐ久々湊盈子先生は跋文で作者を紹介していますが、作者の塩入さんは静岡の生まれで、30歳のころから松戸市役所に奉職、定年まで勤めあげ、市や土地に深い愛着をお持ちだという。
松戸市を梨の名産地と紹介し、「幸水」「豊水」「新高」といった赤梨が主流であるとしている。4月に咲く真っ白な梨の花は清楚で美しいとしている。
そして、「終の地をここに決めたる高塚にいま真盛りの白き梨花」の短歌を紹介して、「終の地をここに決めた」作者の目に波打つように咲く満開の梨の花はこのうえない幸福感をもたらしてくれることだろう、と記している。
梨に関した短歌を拾ってみると、「梨園に白き花満つる春四月いつせいに蜜蜂放たれにけり」、「梨畑に交配をせる農婦らが弾める声が風にのりくる」、「との曇り蝉の声さへ聞こえざり冷夏の梨園青きつぶら実」、「死も愛も共にいたみを負ふものか梨香台の赤梨手に受けて立つ」、「土地人の一人二人と逝きまして松戸梨香台変貌しるき」などが歌われている。
わたし自身高塚新田梨香台に住むひとりとして、周辺の梨畑を見、桜に続いて梨の白い花に酔うひとりとして、誇らしい「梨香台」の歌集である。(高塚新田・松毬)
一葉記念館で一葉女史偲ぶ
秋も深まった10月下旬、わたしは東京の区役所へ書類をとりに向かった。用事を済ませると、近くには一葉記念館があると聞いていたので寄り道をして帰ることにした。
役所の案内係で地図をもらい、浅草行きのバスに乗る。10分ほど揺られて「日本堤」で下車した。そこは大通りなのに人通りがなく、道沿いの家々も入口が閉まっていて聞くこともできない。
立ち尽くしていると、向こうから自転車に乗った奥さん風の人が見えた。わたしは近くに来ると咄嗟に道をたずねた。すると、その人は自転車を降りて会館の入口まで付き添って下さった。
13分ほどの道のりを歩いたが、曲がり曲がった道筋でとても分かりにくかった。
平成18年に建て替えられた会館は大きくなり、3階建てになっていて、広いライブラリーまで作られていてくつろげる。わたしは明治の世界に入り込んだようで一葉女史を偲んだ。
苦労を重ね、国初の女性作家で近代文学に輝いた女(ひと)と請う。24年の生涯で終わったことは、惜しまれてならない。
展示室には直筆の「草稿」「書簡」類が展示され、それ等を目にして、たっぷりと静かな時間を過ごすことができた。
先に記した奥さんのことについてだが、会館の入口まで道案内していただいて、有り難く申し訳ない気持ちでいっぱいになった。わざわざご自分は回り道をしてくださったようだった。
別れ際には「大変ご親切になったこと、忘れませんよ」と厚く御礼を述べてお別れしたのだった。
(小金原・小倉芳子)
消費増税で激変した我が家
10月の消費増税の影響で、我が家と私の生活が激変しました。
年金暮らしの生活者には買い物、外食、医療に関して、今回の2%の増税は重くのしかかって、毎日が苦しい生活を送らざるをえないと思っています。
ただ増税分をいかに国で、社会福祉やいろいろな面で国民が納得する税金の使い方を明白にしていただければ。
豊かな生活に誰しもがなるようにしっかりしたかじ取りで、税金の生かした使い方を期待しています。(消費増税)