本よみ松よみ堂
増田久雄著『栄光へのノーサイド』
戦争と平和。時を越えたラグビーボール
この物語は、第二次世界大戦前夜の豪州ラグビー・ナショナルチーム「ワラビーズ」に実在した日系豪州人ラガーマン、ウィンストン・フィリップ・ジェームズ・イデ(通称ブロウ・イデ)をモデルに構築したフィクションだという。
なんとなく映像作品を前提にしたような小説だと感じたが、著者は著名な映画プロデューサーで、実際に小説化の前に映像作品にするという話があったそうだ。
1937年、戦前のシドニー。ブロウの父、井出秀一郎(ひでいちろう)は小さな貿易会社を営んでいた。白豪主義(白人最優先主義と非白人への排除政策)のオーストラリアではブロウのような日系人や、井出夫妻の厚情で、家族のように暮らしていたアボリジニとのハーフの少年ジムは差別を受けていた。
1922年10月、不良少年たちのいじめから逃げていたブロウが目にしたのはラグビーの試合だった。鍛えられた男たちの肉体がぶつかり合う。男たちの瞳が輝いている。不良連中とはまったく違う世界。成長したブロウはニューサウスウェールズ州代表ノーザン・クラブの一員となり、西オーストラリア州代表ウェスタン・クラブとのオーストラリア・ラグビー選手権の決勝戦で、終了間際にトライとゴールを決めて逆転優勝に導いた。
活躍が認められたブロウはワラビーズの選手に選抜され、英国遠征に向かうが、40日あまりの船旅の末にたどり着いた英国ではとうとう戦争が始まってしまう。
帰国したブロウも志願兵として戦場へ。図らずも父の母国、日本と戦う事になってしまう。そして、捕虜に。ボルネオ島クチンの捕虜収容所での過酷な生活が始まった。ブロウは日本人の血が流れているのに日本に敵対したとして、日本兵に目をつけられてしまう。理不尽の極みである戦争は、歪んだ優越意識と差別を生む。
ラグビーワールドカップ日本大会の開催で、初めてラグビーの試合を観たという人もいるかも知れない。激しくぶつかり合っていた男たちが、ノーサイドのホイッスルの後、お互いの健闘をたたえて抱き合うシーンに清々しいものを感じた方も多いだろう。相手の強さを肌で感じ、ここまでの道のりと努力や鍛錬を思い合う。そこには、相手に対する敬意しかない。
ブロウにもラグビーを通して知り合ったトムやエリックといった仲間がいた。そして、恋人のジーンにブロウは必ず生きて還ると約束していた。みな白人だがブロウを差別しない。差別しないどころか、そこには敬意しかなかった。ラグビーを通して、ブロウの誠実な人柄やプレーに触れていたからだ。
物語は、第二次大戦前後のシドニーや捕虜収容所とともに1986年から87年にかけてのアメリカ・メンフィスと東京を舞台に描かれる。
宅配会社スワロー・エクスプレス社にもちこまれた、日本にいるオオイシという人物を探し出して、古びたラグビーボールを届けて欲しいという依頼。
このラグビーボールがどうブロウの物語とつながっていくのか。時を超えた友情の物語が始まる。【奥森 広治】