わたしのページ(読者投稿)2019年9月22日

そらまめさんの作品

そらまめさんの作品

今年以上に長寿増えること期待
 千葉県の100歳以上は最多2482人になり、その中で松戸市は186人と千葉市、船橋市に次いで多く、すごいことと思いました。
 長寿日本。これからは医療の進歩、介護施設の充実など、今以上に高度な高齢者対策等が必要不可欠と思います。
 さて、各都道府県において100歳以上の方にお祝い金が贈呈されていますが、わたしたちの住んでいる松戸市のお祝い金は1万円ということです。市の人口のわずか数%です。もう少し手厚い金額を差し上げても、と考えている方が多いとも耳にします。
 松戸市に住んでいる方々が全員、100歳以上の人たちに今までの貢献と感謝を祝い、もっと今年以上に長寿の人たちが増えることを期待しています。
(胡録台・長寿)

よく頑張ったねかっこよかった
 きょうは、中学3年生の孫の中学時代最後になるかもしれないサッカーの試合の応援で会場の県立白井高校に行ってきました。
 孫は「最後の試合じゃないよ」と言っていましたが、負けるとこれで最後になります。
息子が中学時代からサッカーをやっていたので、孫も幼稚園の頃からやるようになりました。
 当日は曇り空で、選手にとっても、応援する方にとっても最適と思っておりましたが、途中からお日様が顔を出し、じりじりと照り付ける時間もあり、応援する方は日陰に移動できますが、選手はそうはいきません。
 前半戦は押していたのですが後半戦は疲れが出始め、善戦したのですが、孫のチームが2対4で負けてしまいました。
 チビだった孫も急に背が伸びて、他の子のなかに孫を探すのには背番号が頼りでした。
広いグランドを22人の中学生が土埃を浴びながら駆け回っていました。
 中学時代最後となるかもしれない試合に全力でボールを追う姿は素晴らしい。勝っても、負けても忘れられない思い出になることでしょう。
 振り返ってみますと、孫のサッカーの試合を見るのは初めてでした。わたしにとっても、孫の精一杯の駆け回って輝いている姿はいい思い出になります。
 よく頑張ったね、かっこよかったよ。お疲れさま!
(まつどじゅうみん)

うさぎくん(高塚新田)

うさぎくん(高塚新田)

我が家の「朝のルーチン」
 二世帯で住んでいるため、「外出」の時のルーチンを家族に周知徹底し、実行しています。
 カバンや書類など、全ての手荷物は前夜に用意し、個人が確認しておきます。置き場所は玄関またはその近くです。服装類についても同じですが、時に靴も用意することもあります。
 翌朝、用意するべき大事なものは必ずメモし、テーブル上に貼っておきます。翌朝も忘れ物の無いよう、もう一度確認します。
 そして外出前のトイレはもちろん、また残業・会食などにより帰宅時間がいつも通りでない時は、その報告もします。最後に、元気よく「行ってきます」「行ってらっしゃい」の挨拶を交わし、出かけることになります。
 これらは亡き親父の代からの『朝のルーチン』になっています。
 また、これも大事なことですが、出かける前の言い争いや、怒ったり叱ったりすることは厳禁です。それらがきっかけで万が一ですが、小さな事故でも起きたら…。想像してみて下さい。後になって「あんなことをしなければよかった」「こんなことにならなかったかも」と悔やむことになってしまいます。
 要は、穏やかな気持ちで玄関に立ち、そして出かける。これが基本です。
 我が家族は5人。365日、毎朝これを続けています。亡き親父の「大きなレガシー」。孫も守っています。
(孫は一番 76)
あの時代がとても懐かしい
 以前、脚本家の橋田壽賀子さんが「わたし、殺人と不倫ものは書かないって夫と約束していたのよ。この頃のテレビは何だかややこしくて見ないの」と話をされていた。テレビ番組の中からホームドラマは姿を消し、殺人推理ものや猟奇的なものが目につくようになった。
 6月、スクールバス待ちの子どもたちを狙った無差別殺傷事件が起こり、先月は社会に夢と希望を与え続けるアニメーション制作会社で働く方々を狙った凄惨な放火事件が起きている。いずれも犯人とは何の関わりを持たず、何の落ち度もない方々が犠牲になってしまった。
 令和に元号が代わり、心痛める交通事故や重大事件が立て続けに起き、心がどんどん乾いていく…。
 人の心や自然界のこと、考えてみると「昔は良かった」と思う。この感情は、年のせいだけではないように思う。
 約50年前、まだ小学生だった頃の昭和40年代は、各家庭が風鈴をベランダに吊るし、夜はほのぼのとしたテレビ番組を楽しみ、暗くなってから団地の前で花火をしても、どこからも苦情は来なかった。寝る時は窓を全開にしても安全だった、あの時代がとても懐かしい。
 この令和元年から50年後、取り巻く環境はどうなっているだろうか。想像するのは何だかとても恐ろしい。
(二ツ木・石井裕子)
情けは人の為ならずの意味
 「情けは人の為ならず」とは、子どもの頃、亡き母から聞きました。
 だいぶ前の日のことです。偶然に映したテレビで、ある放送局が街頭で若者にマイクを向けて、先の言葉の意味を聞いていました。
 集まって来た若者たちは「人に情をかけると為にならないから、しない方がいい」と、ほとんどの若者が口々に答えていて、わたしはびっくりしました。
それは全く逆で、どこでどう覚えたのでしょうか。本来の意味は、情をかければ見返りは求めなくても自然にそれは巡ってくるもの、と教えられました。だから誰にでも親切にしなさい、ということのようです。
 わたしは数年前に一人暮らしになりました。日常の暮らしのストレスで体調を崩し、寝たり起きたりの生活になり、地域のみなさんのお世話になりました。
 手作りのお弁当を作っている方がいて、ボランティア(退職後のおじさんと主婦)の方々がそのことに協力して昼食を依頼した人に届けていました。ある日、ひと伝てに知ってわたしもお願いしましたが、配達するということは雨の日も風の日も真夏の日も真冬の日でもお弁当を届けるのです。
 それまでのわたしは自分自身に気概さえあれば一人でも生きていけると高慢でした。
 それが弱くなってからの日、まわりの人に助けられて、温かく接していただいて、受けたご親切は身にしみました。その後、健康を取り戻すことができて、今、高齢者なりの平穏な日々を送っています。
 これからは、少しでも人に優しさをお返ししなければと思っています。
(小金原・小倉芳子)
盛り上がったボランティア祭り
 わたしがボランティアをしている市内の介護老人保健施設で、ボランティアが企画し、入所者に音楽を楽しんでもらうイベント「ボランティア祭り」が施設のデイルームで開催されました。
 多くの入所者は車イスで移動し、約50人が会場を埋めました。
 開会は施設のボランティア運営委員長とボランティアの代表によって宣言され、司会者からの簡単なプログラム紹介の後、ヴァイオリン演奏から開始され、「メヌエット」と「星に願いを」、「ビビディバビデブ」、「小さな世界」のディズニー・メドレーが独奏されました。
 次いで、懐かしの歌で「あざみの歌」がソロで、若さを表現する大きな蝶ネクタイをつけた男女がペアで「二人は若い」をデュエットし、会場から盛大な喝采を浴びました。
 このあと、「体をほぐしましょう」の時間が設けられ、ボランティアのリードによって全員が身体を動かしました。
 「みんなで歌いましょう」の全員合唱、「みかんの花咲く丘」と、故郷を思い出しながら「ふるさと」をヴァイオリンの音にのせて歌い、ラストは「幸せなら手をたたこう」で盛り上がました。大団円の場づくりを果たしました。
 「終わりのことば」は施設の看護師長によって述べられ終了しました。
 この施設の入所者は、リハビリテーションを中心に身体の回復に励む高齢者が多く、手足を動かし声を発することが大切で、こうした機会に恵まれたことは大きな喜びでした。
(高塚新田・松毬)

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