原爆のない世界に中学生「平和大使」長崎派遣
7日から10日まで市内の中学生22人で結成された「平和大使」が長崎を訪れ、平和祈念式典などに参列。平和の尊さを再認識した。
「平和大使」は中学生を対象に、長崎市が各自治体に呼びかけ、毎年実施しているもので、松戸市は2008年の初参加以来今年が12回目の派遣となる。
戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを学ぶこと、被爆者への追悼を目的に、青少年ピースフォーラムに参加し、被爆者から体験談を聞いたほか、各地の参加者と意見交換をした。「平和大使」には21校から51人の応募があり、抽選で22人が選ばれた。10日には帰庁報告を行い、22人がそれぞれ感想を述べた。
根木内中学校1年の澁谷亜依さんは「私は今回の長崎派遣大使でいろいろなことを学びました。4年前、私は長崎の原爆について調べました。家族で長崎に行き、原爆資料館を見て回りました。当時幼かった私は11時2分で止まった時計や、溶けたガラスビンなどを見て衝撃を受けました。その日、長崎は一瞬で焼けてしまったんだ、と、信じられないし、信じたくありませんでした。4年たった今、長崎派遣大使に応募しました。あの雲一つない青空が一瞬で黒く変わってしまった日、何万人もの尊い命が無差別に奪われたあの日、1945年8月9日11時2分、長崎の地は約3000から4,000度という温度になりました。太陽は約3000度なので、太陽と同じぐらい熱い、もしくは、太陽より熱い温度になりました。被爆した人はみんな水を欲しがりました。でも、当時火傷を負った人に水をあげると死ぬといわれていたので、水をもらえないまま、みんなバタバタと死んでいきました。そんな人たちの苦しみは私には分かりません。でも、きっと苦しみながら亡くなっていったんだと思います。そんなことを考えるだけで、私は胸が痛くなります。今でも原爆の被害は続いています。放射能の影響で白血病やガンを患って苦しんでいる人もたくさんいます。こんな危険なものはあってはなりません。でも、世界には原爆が1万4450個あります。これが全部使われたら、どうなるでしょう。地球は滅びると思います。だから私はこの地球から原爆がなくなることを願います。この世界ではまだ戦争をしている国がたくさんあります。でも、考えてみてほしいです。ある日、突然家族がいなくなってしまったら。これから一人で生きていくことになってしまったら。それぐらい、原爆は恐いものです。あってはならないものです。私は原爆がなくなることを願い続けます」と話した。【戸田 照朗】