わたしのページ(読者投稿)
2019年6月23日
免許返納と同時に松戸・稔台へ
わたしは76歳。車の免許を返納すると同時に、子や孫の住む稔台へ2年前に転居しました。50年近く住んだ南房総より老後を送るべく、のんびりと暮らしています。
田舎は車がないと不便ですが、現在は東京や南房総へ行くにも交通の便が良く、足の悪いわたしにとっては便利ですね。難点は、生鮮食品の品数と価格が高いことが気になりますね。
年金暮らしのわたしと妻にとって、田舎のような古いしきたりや付き合いがなく、気をつかうことが減りました。
また、水害や津波の心配もありません。
子や孫たちとたまに会食し、病院等へは娘の送り迎えがあり、安心して天寿を全うしたいと思っている毎日です。
(稔台・鈴木正道)
より早く多く便利要らない
この土地に住み始めた約25年前は住宅もまだまばらで、スーパーは近所になく、身重だった頃は夫の車に乗せてもらって買い物に行っていた。それが今では徒歩、自転車、車で行けるスーパーは増え、どこに行こうか迷うほどになった。
それぞれのスーパーは品数も豊富で、キレイで快適。
でも、出入り口付近にある「お客様の要望」の貼り出しコーナーに目をやるとクレームのオンパレード。
「袋の中のオレンジの1つが傷んでいた。品質管理はどうなっているのか」「○×の商品を置いてほしい」「先日リクエストした商品がまだない。本当に検討してくれたのか」「品出しの従業員が邪魔」などなど。
一部に傷みがあってもそこを除いて食べればいいと思うし、好きな商品がなくても他社の商品で代用すればいいと思う。品出ししている従業員には「そこの商品見たいから空けてください」と言えばいいと思う。
何故にそんなに怒っているのか。何だか異常に感じる。世の中、こんなに便利になり、物であふれているのにまだ足りないと思うのだろうか。
より早く、より多く、より便利に、という時代はもう要らないと個人的には思っている。
(二ツ木・石井裕子)
やさしさの種をまいていきたい
前号に載っていた荒野の紅羊さんの「もっと優しい雰囲気に変えたい」の投稿を読んで、思わず拍手をしてしまいました。
新年度の役員決めは、どこも大変だと思います。近年は特に高齢世代の方々が頑張ってくれていることが多いように感じます。役員を買って出てくれる方々には、本当に頭が下がります。
介護をする方もされる方も、みなさん大変な思いをされていると思います。「介護なんてみんなやってるよ!」の怒号は心の嘆きなのかもしれません。
道をゆずられた時や、すれ違いざまにぶつかってしまった時などの反応も人それぞれです。知らん顔する人、ペコリと会釈する人、笑顔で言葉を発する人、こわい顔をする人。
そんな時、思いやりのある対応をすれば、お互いが嬉しい気持ちになれるのに、と思うことがよくあります。
世の中には色々な人がいます。それでも、本当は誰もがみな優しい人間なのだと思っています。ただ、様々な理由があって、今は優しく接することが難しい人がいるだけなのだと。
ほんの少しの労わりで、世界は変わる。必ず良くなると信じています。そのために、わたしも微力ながら優しさの種をまいて行こうと思っています。
(稔台・熊手)
脱プラスチックを目指すべき!
海岸を埋め尽くすおびただしいペットボトルやビニール袋の山、プラスチックのごみで覆われた海面にくちばしを突っ込んでいる海鳥の映像など、思わず目をそむけてしまうほどです。2050年には、海洋中のプラスチックの量が魚の量を超えてしまうという試算さえ出されています。想像を絶します。
プラスチックの海洋汚染は、自然界で分解しないプラスチック製品を大量生産し、膨大な量のごみを出し続けてきた結果です。
海洋汚染対策としてレジ袋の有料化やプラスチックのストローの廃止などが打ち出されていますが、この程度では彌縫策(びほうさく)にもならないでしょう。
人類の共有財産である海洋をこれ以上汚染させないためには、もはや脱プラスチックを目指すべきではないでしょうか。
今後の物づくりの材料は、新たに開発されるものも含め再生可能なものとし、それらは最終的に自然界に還り無害化するものでなければならないと思います。
地球をプラスチックのごみで覆われた星にしないために。
(松飛台・髭爺 69)
老いもまた楽しと思いたい
深夜から降り出した雨足が強くなりいつもより早く目覚め、台所に立つ。冷蔵庫の中をたまには整理と奥の物を取り出してみると、賞味期限ぎりぎり。夕食にいただくことにする。
ディズニーランド絵柄の缶を開けると何種類かの御茶漬けが入っている。大分前から、御茶漬けを頂かなくなった。サラサラと噛まずに流し込むのは胃によくないし、栄養面も偏ってしまう。そこでこのお茶漬けに長葱や茗荷を刻んで入れてお吸い物としていただこう。少々主婦らしいことをしたような、思いついたような気がして、ひとりで「にたり」。
そんなことをしていると、あっという間に2時間が経っている。子供の頃、若い頃には、1日が長く感じられたこともあった。だがこの年になると、1時間、1日、1か月、1年がいやに早く過ぎて行くのに驚く。体の動きや、頭の回転が若い頃より、同じことをするのに、多くの時間を要する様になったからだろうか。老いて来たら、もっと、ゆったりと時よ流れておくれ。
健康のためにウォーキング(今は散歩)を始めて、どれだけの年数を重ねたことだろう。両手を大きく振って、大股で歩くのも取り入れながら、出来るだけ毎日違う道を歩くようにしている。新しい発見がある。
いろいろな花にも出会う。あじさいが色づき始め、薔薇もいまだ健在。スマホでパチリ。年を重ねると、楽しみ方も違ってくる。老いによる発見、老いによる楽しみ、喜びといえると勝手に思っている。
強がりではなく、老いもまた楽しと、しばらく思わせて欲しいものだ。
(まつどじゅうみん)
恋愛小説に夢中だったあのころ
少女時代からわたしは本が好きで、20代のOLの頃には恋愛小説に夢中になって、毎日のように読みふけっていました。明治、大正、昭和の流行作家の作品に酔いしれてしまいました。
昭和の時代は都電が街中を走っていて(今は東京では三ノ輪橋―早稲田間の1本だけ)、電車の中でのんびり読書ができ、わたしはいつも通勤に本を携えていました。特に菊池寛の恋愛小説は圧巻で、甘い切ない物語に時を忘れて電車を乗り越したこともあります。
理想の男性、理想の女性に読書の中であこがれて胸をときめかせていました。そして、ストーリーには恋人とのすれ違いがあって、それは実際に世間でもよくあったことなのですが。
恋人との待ち合わせの場所に出会えなかったことがありました。駅の出口が2か所あったり、うっかりして約束の場所を間違えたりしたり。菊池寛の作中の駅も出口が2つありました。東京の飯田橋駅でした。後にその駅へ行ってみると、東口と西口とがあり、少し離れていて、ありがちのことと感じいりました。
今は携帯電話があり、そのようなことはおこらない時代に変わりました。待ちわびて、がっかりして、そのやるせない気持ち…。それは今の若い人には理解できないでしょう。昭和にはそんなのんびりした、ゆとりある生活がありました。
亡き母は「相思相愛」という言葉が話の中によく出てきて好きなようでした。父との結婚はふるき時代でしたので、そういうわけにはいきませんでしたが、でも、互いに認めあって一生添いとげました。
母の言葉の影響でしょうか。わたしが恋愛小説に惹かれた訳は…。そんな気もするのです。
(小金原・小倉芳子)
聖火ルート発表で楽しみ広がる
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会から47都道府県の聖火ルートが発表された。聖火は各地の世界遺産や東日本大震災からの復興の象徴となる場所を、121日間かけて、3月26日から7月24日まで全国を巡る。
東京電力福島第一原発に近い楢葉町のサッカー施設・Jヴィレッジを3月26日にスタート。2日目の27日にはわたしの生まれ育った故郷・川俣町を通る。その前の原発事故で全村避難を余儀なくされた飯舘村から受け取り、県都・福島市に渡される。
千葉県に聖火が入るのは7月2日で、神奈川県からバトンを受けて、「震災からの復興」をテーマに7月4日まで21市町を巡る。7月4日は浦安の市総合公園周辺から船橋に入り、行田公園・市保健福祉センター周辺を経て鎌ケ谷に入り、市役所・新鎌ふれあい公園から柏・道の駅しょうなんに出て、我孫子・手賀沼公園を経て、柏・柏の葉公園へ。その後、松戸入りし松戸駅周辺を走って、7月5日に茨城県、7日には埼玉県に引き継がれる。東京都には7月10日に入り、多摩地区、伊豆・小笠原諸島を経て23区を巡り、7月24日の開会式で新国立競技場の聖火台に点火される、と発表された。
楽しみなことである。
(高塚新田・松毬)
ゆいの花公園で一日中花を満喫
5月26日の日曜日、東松戸ゆいの花公園で行われた「ゆいの花フラワーフェスティバル」へ行ってきました。
ポットの花を花壇に植え変えてそのところに自分の名前を記入するイベント「みんなで花を咲かせよう」や押し花のしおり講座、スタンプラリーなど、園全体が花フラワー一色でたくさんの老若男女が参加され、楽しい一日を過ごすことができました。
特に、令和の文字を記した花壇(=写真)は多くの方々が記念写真を撮っておられ、一番の記念になりました。花好きのわたしにとって最高に楽しい一日でした。
今から自分で植え変えた花の成長を見ることが出来る次回開催が楽しみです。
(胡録台・花壇)