本よみ松よみ堂
吉田修一著『続横道世之介』

懐かしくも切ない「人生のダメな時期」を描く

続横道世之介 吉田修一著

中央公論新社 1600円(税別)

 2009年の「横道世之介」の続編。13年に高良健吾主演、吉高由里子のヒロイン役で映画化もされた。
 前作で感じた、胸をかきむしられるような懐かしさと切なさ。「また世之介に会える」。そんな思いからこの本を手にした。
 前作では、1987年に長崎から上京して大学に入った世之介の1年間を描いている。親元から通っていた高校生の頃とは違い、雲ひとつない快晴の青空のように、どこまでも自由と可能性が広がっているように感じたあの頃。入学してすぐにできた友達・倉持や阿久津唯と偶然に入ったサンバサークル。年上の女性・千春に憧れたり、お金持ちのお嬢さん・祥子とのかわいらしい恋や、セクシャルマイノリティの加藤などとの出会いと別れが描かれる。そして、終わりの方で「現在」の大人になった登場人物たちの視点からも描かれる。この季節が必ず終わりを告げることを誰もが知っているからこその懐かしさと切なさだ。
 世之介という人物は、お人よしの、そういえばこんなヤツいたなぁ、と後になって思い出すような、あまり特徴のないタイプ。普通だったら脇役になりそうな人物を、この物語では主役に据えている。
 今作の「続 横道世之介」では、大学を卒業して24歳になった世之介の1年間が描かれている。1年留年したせいでバブル最後の売り手市場にも乗り遅れ、バイトとパチンコでどうにか食いつないでいる。前作で描かれた、どこまでも澄み渡っていた青空のような1年間に比べると、梅雨の空のようにどんよりと曇っている。
 ただ、世之介本人はいたって鈍感というか、あまり危機感が感じられない。大学を卒業して就職できなかったという時点で、無限に思われた可能性は、かなり狭められているというのに。24歳を、まだ24だと思うか、もう24だと思うか。まだ何者でもない若者にとっては、人生の分岐点となる年頃だ。
 池袋に住む世之介は隣の板橋に住む大学からの友人で一流証券会社に勤めるコモロンこと小諸とよく飲みに行く。男しかなれないといわれた寿司職人を目指している女性の浜本とひょんなことで友達になり、コモロンのマンションの近くに住んでいたシングルマザーの桜子と恋人になる。世之介は桜子の息子・亮太をかわいがる。そして、自動車整備工場をしている桜子の小岩の実家の親父さんや兄の隼人との交流が始まる。
 地図で見ると小岩は市川市国府台の里見公園の江戸川の対岸から中川(新中川)に挟まれた場所で、松戸からも遠くなく、なんとなく親近感がわく。
 「現在」の登場人物からの視点でも描かれる構造は前作と同じ。ただ、正確にいうと、来年の東京オリンピック・パラリンピックの場面が出てくるので、少しだけ未来の話ということになるだろう。
 世之介はお人よしというだけでなく、教習所で習った通りの安全運転をする慎重な面がある小市民だが、街角で見かけたチンピラ風の男に乱暴されている女を思わず助けるというシーンが描かれる。普通の人なら躊躇(ちゅうちょ)する場面だ。
 前作を読んだ人は分かっていると思うが、世之介の未来にはある事件が待っている。著者としては、世之介の必然を描きたかったのかも知れない。
 本に著者からのメッセージカードが挟まっていた。「人生のダメな時期、万歳。人生のスランプ、万々歳」という言葉で結ばれている。
 私も大学を出て、最初に就職した会社を3年足らずで辞めて、2年間の「ダメな時期」を過ごした。世之介と同じ、バブル崩壊後の停滞した時代をなんとか生きていた。前作とはまた違った懐かしさと切なさを感じた。【奥森 広治】

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