わたしのページ(読者投稿)
2019年5月26日
優しい思いやりのある世の中に
松戸市で暮らしていて、信号機のない横断歩道などを渡ろうとする時に車が来ても、ほとんどの車は止まってくれない、と今まで思っていたのですが、最近は皆さん、よく止まってくれるんです。そんな時は、心を込めて会釈します。
本来、歩行者優先で停車するのが当然という考え方もありますが、優しい気持ちから止まってくれたのですから、わたしはきちんと、ありがとうの気持ちを伝えたいと思ってそうしています。
電車などで席をゆずられた時も、特に座りたいと思っていない時でも、気持ちよく受け入れ、お礼を申し上げます。そのほうが、わたしはもちろん相手の方も幸せな気持ちになれると思うからです。
スーパーで、お店に対して、自分はお客様なのだからと横柄な態度をとる方がいます。確かに客が物を買わなければ、お店は潰れてしまいます。しかし、スーパーが無くなったら大変です。スーパーがあるから色々なものを好きなように買えるので、とても助かっています。買っていただくと買わせていただく、お店と客は対等な関係なはずです。
日本のスーパーの多くは、とても親切に対応してくれます。近所にあるスーパーも、店員さんが優しく、お客様の声に丁寧に回答して掲示板に貼っていたり、休憩所では、無料でお茶を提供してくれています。
いつも楽しく買い物をさせていただいて感謝しているのですが、ただひとつ残念に思うことがあります。それは、スーパーの出入口にある通路(スロープ)に「自転車は降りて通行してください」と貼り紙をしてあるのですが、多くの方がそれを守らないことです。危険だから注意書きがあり、実際にそこで転倒している自転車を見たこともあります。
特殊詐欺(振り込め詐欺等)同様、自分だけは大丈夫だと思っているのでしょうか。しかし、詐欺の被害者は自分一人だけですが、こちらは他人を巻き込む可能性が高いです。何かあってからでは遅いのです。
ひとりひとりがよく考えて、優しい世の中になってくれることを願います。(稔台・六角)
オッドアイに巡り会いたい
空前の猫ブームで、多くの人が猫に癒されています。
この10連休、日比谷図書館の「アートになった猫たち展」に行ってきました。
猫ブームは、200年も前の江戸時代にもあって、多種多様な浮世絵が作られました。近代では竹久夢二・藤田嗣治の作品にも描かれています。
女性と戯れる猫、踊る猫、芸をする猫、毬にじゃれる猫など、人々を惹きつけてやまない猫たちと、人と猫の関わりを楽しんできました。夏目漱石の「吾輩は猫である」の装丁に、明治の猫を見ました。
展示は6月23日までですから、猫好きはご覧になってはいかがでしょうか。それぞれの猫たちの喜怒哀楽が伝わって来て、時を忘れさせてくれます
ところで皆さん、「オッドアイ」ってご存知ですか。左右違う色の目を持つ、神秘的で魅力的な猫のことです。「幸福を運んでくる」と言われています。青色と黄色の組み合わせが多いようですが、
「金目銀目(きんめぎんめ)」とも呼ばれるそうです(たまに「片目の中で2色」の猫ちゃんもいるそうですよ)。
令和元年の5月を迎えました。幸福を運んでくる「オッドアイ」に、めぐり会いたいものですねえ。(ペットは一番 75)
何とかなる。人は弱いようで、強い
終戦を5歳の夏に迎えたわたしは、兎に角食べること。白いご飯は食べられなかったけれど、せり、なずな、よもぎ、のびるなど食べられる物を探して採って食べた。戦後の貧しさの中で空腹をしのぐことが出来た。なんとかなった。
40代、夫婦で商売を始めた。バブルがはじけ、じわじわと資金繰りが厳しくなり、夜、自宅に借金取りが来たこともあった。だが、分割でこつこつと返済し、何とか切り抜けた。
長男夫婦に仕事をバトンタッチした時、やって行けるだろうかと心配したものだが、丁度わたしたちが商売を始めた年齢になる息子夫婦は何とかやっている。
わたしたち夫婦は後期高齢者、どちらかが先に逝ってしまったら、残された者は自立した生活が成り立つのだろうか、やって行けるのだろうか、先の事が心配になる。
来る時のことばかり思い悩んでいてもしょうがない。そういう時が来ることを忘れずに今を精一杯生きたいものだ。人は弱いようで、強い。順応力があり何とかやって行くだろう。
外に目を向けると、八重桜、チューリップ、つつじ、藤と花が咲き継ぎ目の保養になり、心の栄養になる。満喫したいものだ。(常盤平・まつどじゅうみん)
もっと優しい雰囲気に変えたい
今春、病院の勧めで老親の介護保険の手続きをしました。
春はさまざまな団体が新年度の役員を決める時期です。
「担い手不足」が言われ、高齢世代は「要介護で役員は無理」、現役世代も「介護する側なので」と、悩ましい問題ですが、わたしの理想は、地域の団体の活動ならば「出来る範囲でがんばれば良い」という空気の中で、「力不足ながらも役員を引き受ける」ことでした。
もちろん、安易に甘えるつもりはないのですが、集まりのあいさつで介護の件を話したところ、「介護なんてみんなやってるよ!」との怒号が飛んできて、驚いてしまいました。
わたしの伝え方が悪かったのかも知れませんが、助け合いだ、人とのふれあいだ、と言っても額面通りにはならないのだと思い知らされた気がしました。
けれど、わたしは「介護なんてみんなやってる」のなら「この地をもっと優しい雰囲気に変えたい」と今も思っているのです。
身構えずに地域活動ができたらと思うのです。(荒野の紅羊)