本よみ松よみ堂
ユヴァル・ノア・ハラリ 著
柴田裕之 訳
『サピエンス全史㊤文明の構造と人類の幸福』
サピエンス全史㊤
文明の構造と人類の幸福
ユヴァル・ノア・ハラリ 著
柴田裕之 訳
河出書房新社 1900円(税別)
ホモ・サピエンス、つまり、私たち人類の誕生から今までの歴史を俯瞰(ふかん)するという壮大なテーマの本である。人類の歴史の中で、今私たちはどんな段階にいるのか。一個人の人生はあまりに短く、目の前で起きている問題に心を奪われがちだが、今という点だけを見ていては何も分からない。だから歴史を学ぶことはとても大切だと思う。
著者はサピエンスに起きた重大な変革として「認知革命」「農業革命」「科学革命」の3つを挙げている。
特に最初に起きた「認知革命」は最も大きく興味深い出来事だったようだ。
アメリカのテレビシリーズ「スーパーナチュラル」にこんなシーンがあった。主人公の悪霊ハンターの兄弟に天使が「ネアンデルタール人と君たちと、どちらにするか迷ったんだけど、君たちを選んだんだよ。ネアンデルタール人もなかなかいいやつらだったんだけどね」と言う。
アフリカでホモ(ヒト)属が進化したのは250万年前。その後異なる人類種が進化し、50万年前からネアンデルタール人が中東とヨーロッパで進化した。東アフリカでサピエンスが進化したのはずっと後の20万年前。そして7万年前にサピエンスはアフリカ大陸の外へと広がり、ネアンデルタール人とも遭遇した。
ネアンデルタール人は3万年前に絶滅した。ネアンデルタール人は脳がサピエンスより大きく、大きな筋肉を持っていた。一人一人の能力ではサピエンスを上回っていたと考えられており、前述した天使のセリフが出てくるわけである。
ネアンデルタール人の絶滅とサピエンスとの遭遇に関係があるのかは分からない。他の人類種も絶滅しており、地球上の人類種でサピエンスだけが生き残った。
サピエンスがアフリカ大陸を出た7万年前、「認知革命」が起こったという。サピエンスは柔軟な言語能力を使って「まったく存在しないもの」について語るようになった。つまり伝説や神話を語るようになった。物語、虚構を生み出すようになった。
今でも私たちの社会は虚構で溢れている。例えば私が務める会社は法律上の人(法人)として、パソコンや机などを所有している。しかし会社という実態(触ることが出来るもの)があるわけではない。私もほかの社員も、会社があると認識しているだけなのだ。
ライオンやチンパンジーなどの動物やネアンデルタール人も、実態が見えるものは信じることができても、見えないものは信じられなかった。
物語(神話)を信じることで、一度も会ったことのない大勢の人々が一つの目的に向かって協力できるようになった。
「家族」「一族」「会社」「町」「国」は概念に過ぎないが、それぞれに物語(神話)を持っている。
例えば、戦時中の日本人の多くは「日本は神国だから、絶対に負けない」と信じていた。そして、国民はどんなに生活が苦しくなろうとも耐え、若い兵士は特攻で命を散らした。
多くの人が協力できるようになったサピエンスは、やがてオーストラリア大陸やアメリカ大陸など、まだ人類種がいなかった大陸へと渡ってゆく。特にオーストラリア大陸では、サピエンスの上陸により、ほとんどの大型動物が絶滅した。
1万2000年前に起きた「農業革命」まで、サピエンスはずっと狩猟採集の生活を続けてきた。サピエンス20万年の歴史の中では、狩猟採集の時代の方が圧倒的に長い。教科書では農業によって人類は飢えから解放されたと教えられたが、著者は「農業革命は、史上最大の詐欺だった」という。
狩猟採集生活をしていた縄文時代の松戸市は豊かで人口も多かったという。温暖な海岸線が近くまで来ており、海の幸と山の幸に恵まれていた。松戸市の弥生時代の到来はほかの地域よりも遅いと言われているが、それは、人々が選択的に農業よりも狩猟採集の生活を選んでいた可能性がある。狩猟採集だけで十分に栄養がとれるのであれば、手間のかかる農業などをする必要はない。
農業を始めたサピエンスは日の出から日暮れまで、一日中麦や稲の面倒を見なくてはならなくなった。野生の麦や稲をサピエンスが栽培化したというより、麦や稲がサピエンスを家畜化したとも言えるという。麦や稲は地球上に広がり、生物学的に大成功を収めた。だが、穀物に頼る生活は栄養にも偏りがあり、病気も増えた。狩猟採集の生活では、1日の労働時間は3時間程度。穀物はほんの一部の食べ物にすぎず、あらゆる栄養をとることができた。
農業の開始でサピエンスの人口は爆発的に増えたので、生物学的には成功したと言えるかもしれないが、一部の支配者を除く農耕民にとっては、どちらが幸せだったのだろうか。麦や稲など、限られた作物に頼る生活は自然災害には弱く、飢饉(ききん)が起きれば、多くの人が餓死する。しかし、たとえ狩猟採集の生活に戻ろうとしても、人口が増えてしまった後では遅かった。
もし、サピエンスに「認知革命」が起こらなかったら、と想像してみたくなる。もしかしたら、今でもサピエンスはほかの人類種や多くの絶滅した動植物とともに狩猟採集の生活を送っていたかもしれない。
下巻は、500年前に起きた「科学革命」に話が及ぶ。まだ未読だが、どんな現実が書かれているのか、読むのが少し恐いような気もする。【奥森 広治】