松戸市に夜間中学校をつくる市民の会前代表
藤田恭平さん死去
念願の市立夜間中学開校目前に
松戸市に夜間中学校をつくる市民の会(以下「市民の会」)前代表の藤田恭平さんが3月12日、老衰のため逝去した。享年92。葬儀告別式は18日に市内の斎場で営まれた。
藤田さんは1983年4月の市民の会設立以来、2012年まで代表を務め、36年の長きに渡り、松戸市に公立夜間中学校の設立を訴えてきた。松戸市立第一中学校みらい分校(松戸市立夜間中学校)の開校を目前に控えた中での死だった。
藤田さんは、1927年、愛媛県新居浜市生まれ。1951年に東京大学文学部倫理学科を卒業後、毎日新聞社に入社。連載「教育の森」取材スタッフを経て、1975年から月刊『教育の森』の編集長を務めた。1978年、毎日新聞本社編集委員に就任した。1968年に菊池寛賞と日本ジャーナリスト会議賞を受賞した。
『教育の森』(毎日新聞社)、『みんなのPTA』(あすなろ書房)ほか、著書多数。
1982年に毎日新聞社を定年退職後、翌年4月に市民の会を設立。市に公立夜間中学の開設を働きかける一方で、現実に教育を求めている人たちに学びの場を提供する目的で8月には「松戸自主夜間中学校」を開設した。
勤労会館で、火曜と金曜の週2回。授業は机を並べて行う「一斉授業」と個人指導を行う「個別授業」の2本立て。藤田さんは「国語」を担当した。
松戸自主夜中は1998年に読売教育賞、2002年に朝日のびのび教育賞を受賞。
2015年8月に行われた市民の会の第33回総会で、藤田さんは「市民の会・松戸自主夜中の33年間を振り返って」と題して講演した。その中で「最初は『個別授業』だけでいいと思っていた。ところが、しばらくすると、ある年配の生徒から黒板の前に先生が立ってみんなで机を並べて授業を受けたい、という要望が出た。それが学校に行けなかった年配者の夢だった。自分の思いが至らなかったことを恥じた」と話していた。
その後、戦争や貧しさのために学校に行けなかったという世代は徐々に減っていったが、中国残留孤児の子弟や、いじめによる不登校や引きこもりで義務教育を受けられなかった人たち、障がい者、在日外国人の子どもたちなど、その時代の教育問題を映す鏡のような人たちが通うようになった。「学びたい」と願う人ならだれでも受け入れる、温かい学び舎ができた。
松戸自主夜間中学では今までに約2000人が学び、開講回数も3100回を超えた。