本よみ松よみ堂
フリーランスぶるーす
逃げとごまかしの人生からの脱却。小さな一歩が道を拓く
フリーランスぶるーす
栗山 圭介 著
講談社 1600円(税別)
前作『国士舘物語』に続いて著者の作品を紹介するのは2冊目となる。巻末の著者のプロフィールを読むと、前作に続き半自伝的作品のようだ。
ベルリンの壁崩壊の翌年だから1990年のこと。主人公の平林健太は工事現場で働いていた。そこへ母からの電話。愛犬のジョンが死んだという。5年前から白内障を患い、目が見えなくなっていた。急激に足が弱ったため首輪を外して庭を自由に歩けるようにしていたが、1メートル以上ある庭の柵を飛び越えて軽自動車にはねられた。生涯の最期に力を振り絞って見えない柵を飛び越えたジョンの死に思いを馳せ、逃げとごまかしの連続だった人生を変える決心をする。
東京の大学を卒業後、地元で就職した印刷会社を2年で辞めて再び上京。一旗揚げると息巻いて東京に戻ったものの、定職には就かず、居酒屋とコンビニのバイトをはしごして食いつなぎ、まとまった金が必要になると工事現場で働いていた。そして30歳を迎えた。
そんな人生を変えようと面接を受けたのが、雑誌・広告の編集プロダクション「ジョグ」。社長の西本は何を思ったのか、経験の全くない健太を採用してくれた。ぶっつけ本番の現場。ジョグは小さいながらも業界からは力を認められている会社のようで、大きなプロジェクトの仕事も舞い込む。健太も慣れない仕事になんとかついていこうとするのだが、ある理不尽な出来事がきっかけで、2年足らずで退社することになった。
再び無職となった健太だが、もうアルバイト生活には戻りたくない。ここからフリーランスのライター・編集者として生きていくための試行錯誤が始まる。タイトルが「フリーター」ではなく「フリーランス」となっていることにご注意頂きたい。会社に所属せずに、自分の技量を活かして、自分らしく、自分に正直に仕事をしていくフリーランスという仕事だ。
私の経験とも重なるところがあり、当時のことを思い起こしながら、時に瘡蓋(かさぶた)をはがされるような思いで読んだ。
私は大学を卒業してある出版社に就職したが、仕事が面白くなくて2年10か月で退社した。他の出版社に入ろうとしたが、なかなか受からない。それもそのはずで、私がいた会社は出版社といっても内容が特殊すぎて、他の会社で通用しなかった。つまり、20代後半にして編集者としては素人同然。アルバイトで食いつなぎ、10か月後に、ある編集プロダクションに拾ってもらった。毎日終電で帰っても仕事が追いつかないほど必死に働いたが、4か月でクビになった。この会社はかなり実力のある会社だったので、辞めたくなかったし、今でも残念に思う。自分でクビを決めたものの、社長は余分に1か月分の給料をくれ、「4か月で見聞きしたこと、他の人がやっていた仕事も自分がやったように話して面接を受けろ」と再就職のアドバイスまでくれた。社長の言うとおりに面接を受けて、他の編集プロダクションにもぐりこんだ。しかし、この会社はあまり力がなく、やがて経営が怪しくなり、1年足らずで退社した。その後に入ったのが現在の会社だ。それから23年が経つ。
私が編集プロダクションにいたのは合計でも1年4か月。取材先やクライアントにはあまり経験がないことを悟られないように、冷や汗をかきながら仕事をしていた。それでも、私を信頼してくれて、退社後に個人的に仕事を振ってくれる編集者もいた。2つ目の編集プロダクションを辞めたあと、わずかの期間だが、主人公の健太のようにフリーのライターのような仕事をしていた。
ここが人生の分かれ道で、あのままフリーランスで仕事を続けていたら、今頃どうしていただろうかと思う。
健太はジョグで働いていた頃にスタイリストのアシスタントをしていた彩と知り合い、恋人になる。私にはそんな余裕はなかったなぁ、とちょっと羨ましい。
わずか2年だが、ジョグで知り合ったカメラマンやライターが後々にいろんな縁を結んでくれて、健太の仕事を広げてゆく。私もあの1年4か月の経験が思わぬところで今の仕事に繋がり、驚いたことがある。やはり、小さくても一歩を踏み出すことが後の道につながってゆくのだ。
健太はジョグの西本社長に苦く複雑な思いを抱いている。私も時々思い出すのだ。あの社長、今頃どうしているかと。
【奥森 広治】