本よみ松よみ堂
私の「貧乏物語」
これからの希望をみつけるために
貧困とは、豊かさとは何か。各界で活躍する36人のエッセイ
私の「貧乏物語」 これからの希望をみつけるために
岩波書店編集部 編
岩波書店 1600円(税別)
作家、タレント、学者、ジャーナリスト、映画監督、実業家、政治家など、各界で活躍する36人が書いたエッセイ集。そのものズバリ、貧乏生活を書いたものもあれば、その人の人生について書いただけで、貧乏に直接触れていない人もいる。年齢も若い人から年配の方まで様々だ。
何人かの人の文章に共通している点は、貧困は人との比較の中で強く感じるという点。国中のほとんどの人が貧しかった戦争直後は、現実には貧しい生活を送っていても、自分が貧しいと感じることはなかったという。復興と高度経済成長の中で生まれた「一億総中流」という言葉。大量生産大量消費の時代は、やがてバブル経済へと突き進み、その崩壊とともに停滞した数十年が訪れ、時代のキーワードは、いつの間にか「格差社会」へと変わった。今の方が貧困が作り出す影はより濃くなっているのかもしれない。
沖藤典子さん(1938年生。ノンフィクション作家)が書いた「病と貧困の悪循環」と題した文章。昭和24年、著者が小学校5年生の時に父親が肺結核で倒れ、母親は闇米を売って家計を支えた。姉は病気から脚に障がいを負い、やっと父が復職したかと思えば、今度は長年がんばってきた母が脳出血で倒れる。国全体としては復興に向かっていた時代だが、沖藤さんの家族は、どんなにがんばっても病が後から追いかけてきて、貧困からなかなか抜け出せなかった。個人の努力だけではどうしようもないということがある。だからこそ社会保障は重要だ。
ブレイディみかこさん(1965年生。ライター。保育士)の「貧乏を身にまとい、地べたから突き上げろ」という文章は、「わたしは忌まわしきバブル世代の人間である」という一文から始まる。著者の家は貧しかったが、高校はいわゆるエリート家庭の子が多い進学校に進み、友達との感覚の違いに戸惑った。学校帰りにスーパーでアルバイトをしていたことがバレて担任に呼び出され、通学定期を買うためにバイトをしていたと説明すると、教師は「嘘をつくんじゃない。いまどきそんな高校生がいるわけがない」と言ったという。
貧しい人からは貧しさが見えるが、貧しさを経験したことがない人からは貧しさは見えない。日本には貧しい人などもういない、とこの教師は信じていたのだ。
「貧すれば鈍する」という言葉も何人かの人の文章に出てきた。井上達夫さん(1954年生。東京大学教授。法哲学)は「貧すればこそ鈍せず」という文章の中で、「貧すれば鈍する」を「貧窮は人の知性も品性も劣化させるという意味」と説明している。
私(1965年生)の子どもの頃のアニメの主人公は貧しい家の子という設定が多かった。「タイガーマスク」の伊達直人、「あしたのジョー」の矢吹丈、「科学忍者隊ガッチャマン」のジュンと甚平はいずれも孤児。「巨人の星」の星飛雄馬、「フランダースの犬」のネロや、「アルプスの少女ハイジ」のハイジ、「母をたずねて三千里」のマルコもみな貧しかった。当時の親の世代が、貧しくてもがんばる子ども像を好んだのか、それとも社会全体が貧しさが思い出になりつつある時代だったからなのか。いずれにせよ、アニメの主人公のように貧しさをバネに、清く正しく明るく生きていくことは簡単ではない。
だが、貧しさの中で培われた目線の低さが現在の職業に繋がっている人たちもいる。福山哲郎さん(1962年生。参議院議員)、安田菜津紀さん(1987年生。フォト・ジャーナリスト)などだ。
著者たちは貧しさの中で勉強し、最終的に東大その他の有名大学を卒業した人たちが少なくない。子どもたちが貧しさから脱しようとするとき、もし勉強が得意なら、学歴を身につけることが一番確実な方法だと思う。人生には運、不運がつきものだが、勉強に費やした努力と時間は裏切らない。こうした公平性が、戦後の日本を支えてきた。
だが、最近は大学入試の公平性が疑われるような事件も起き、国公立、私立ともに学費が高くなってきた。日本が豊かな国であり続けるためにも、返還不要の奨学金制度を増やすなど、社会ができることはまだ多い。
【奥森 広治】