松戸周辺の城跡を訪ねて⑫
前回は手賀沼南岸の柏市内(旧沼南町)にある城跡を紹介したが、今回から手賀沼北岸の我孫子市側にある城跡を紹介する。【戸田 照朗】
我孫子市 根戸城
手賀沼西部北岸の東方へ突出した標高16~18mの舌状台地先端部に城跡がある。台地先端部を道路がかすめるように南北に走っているが、道路に接する台地先端部分にバルコニー状の建築物とレリーフがあり、壁に根戸城跡の説明板がある。
我孫子市教育委員会が設置したその説明板によると、
「根戸城跡は、ほぼその全体が現存している城跡としては我孫子市内唯一のものです。太田道灌築城という伝説もありますが、築城時期や築城主などについてはっきりと判断できる文献資料がなく明らかになっていません。城は突出した台地の先端部に構築されています。構造は二つの郭を東西に重ねた連郭形式となっています。東側の主郭は台形の形状をしており、周囲に高さ約3mの土塁を巡らしています。また、さらにその外周には深さ3mの空堀が巡っています。第二郭は主郭の西側に接し、やや南側にずれて構えられ長方形をしています。北側と西側には土塁と空堀が設けられています。
16世紀の北総地区は、後北条氏方の高城氏(松戸市・小金城)とそれに敵対する簗田氏(野田市・関宿城)や相馬氏(守谷市・守谷城)が争っていました。根戸城付近である手賀沼の奥まったこの場所は、水上交通・陸上交通の要地として戦略上非常に重要な場所であったと考えられます。昭和60(1985)年に行われた城跡の範囲を確認するための発掘調査では、堀より15世紀から16世紀の瀬戸産の陶器片が出土していますが、城の構造からみて16世紀後半に築かれたと考えられます」とある。
根戸城跡の西側約30mのところには金塚古墳がある。直径約20m、高さ約3mの円墳で周囲に約5mの周濠を巡らしている。根戸城の物見台として使われた可能性もあるという。
城跡は私有地のため、所有者にお断りして見せていただいた。
説明にあったように、台形の主郭と長方形に細長い第二郭からできており、主郭を囲む土塁がきれいに残っていて、主郭の形がよくわかる。また、主郭周辺にぐるりと空堀が掘られており、堀の底を歩くと主郭の土塁との高低差が際立ち、主郭が高い壁に守られているように感じる。第二郭の周囲にも空堀が掘られていた。
根戸城跡の北方、常磐線の向こう側の台地上には法華(花)坊館跡があり、以前は土塁や空堀などの跡があったというが、現在は住宅街となり、何も遺されていない。四法花坊公園という公園に名前が残るのみだ。
※参考文献=「東葛の中世城郭」(千野原靖方・崙書房出版)