本よみ松よみ堂
帰ってきたアブサン
21年を共に生きた人生の伴侶、アブサンという猫
帰ってきたアブサン
村松 友視 著
河出書房新社 1262円(税別)
もうずいぶん前に刊行された本である。猫と作家というのは相性がいいらしく、「作家と猫」という類の雑誌の特集をたまに見かける。この本もある雑誌に著者とその奥さん、そして21年間夫婦と時を共にした猫のアブサンが写真入りで紹介されていて、タイトルを見ていた。伊勢丹松戸店がいよいよ閉店となる前、ジュンク堂書店でハードカバーを見つけて購入した。
著者はアブサンの死後、半年ほどして「アブサン物語」という本を書いている。そして、1年以上経って、「帰ってきたアブサン」を書いた。この本では、ほかに「カーテン・コール」「墓」「妻が大根を煮るとき」「夏猫」「壺」という5編の猫について書いた短編が入っている。
「帰ってきたアブサン」では、死後1年経ってもアブサンの死が実感できない著者と妻の姿が描かれている。「妻は、アブサンの墓の見える廊下を線香を供える場所と決め、日に何度かそこに坐って、深い思い入れに浸っているような顔をしている」(P6より引用)。
著者は「アブサン物語」を書いたことで「フィクションの衣」に包み込むことができた。しかし、そんな著者も習慣としている速歩のコースの途中や、焼き肉店で偶然出会った猫をアブサンだと直感してしまう。夫婦は死んだ猫は木曾山中で修行して、また別の姿となって戻ってくるという伝説について話したことがあった。
夫婦には子供がいない。しかし、アブサンを子供の代わりだと考えるのは、アブサンに対して失礼だと考えている。著者はアブサンという存在を人生の伴侶として尊敬している。どうしてそこまでの思いに至ったのかは前著「アブサン物語」を読まないとわからないのかもしれない。
初めて猫と暮らした妻とは違い、著者には幼少より猫と暮らした思い出がある。祖父も小説家で、祖父が猫の死について書いた一編や、夏目漱石が猫の死について書いたくだりを読んで思いを巡らせる。
庭には外猫も出入りしていて、他の5編では外猫を中心に書いた作品もある。
著者はアブサンをずっと家に閉じ込めていたことに、うしろめたさを感じている。
私もずっと猫を飼ってきた。そして、「これで良かったのか」と迷うことも多い。
初めて猫が死んだときは、本当に苦しかった。迷い込んできた黒猫で年齢はわからないが、腎不全と診断されてすぐ、顔に腫瘍のようなものができて、あっという間に死んでしまった。手製の仏壇を作って毎日線香を炊いたが、線香のきつい匂いが心を滅入らせるため、柔らかい匂いのものに変えたりした。
3年前には20歳まで生きた三毛猫が死んだ。食欲がなく痩せていて、そろそろなんとかしなければと思いながら、猫の頭をなでて家を出たが、帰った時にはもう冷たくなっていた。まさかあの日が最期になるとは思ってもいなかった。
今までに4匹を見送ったが、それぞれに思い出があり、思い出とともに悔いも残る。
猫の死に思いを寄せるのは、そこに人の死と変わらない無常観を感じるからなのかもしれない。
【奥森 広治】