昭和から平成へ【69】
にぎやかな「囲む会」に56人
昭和から平成へ 第Ⅲ部 夢見るころを過ぎても(69)
昭和の森博物館 理事
根本圭助
猫の額よりもっと狭い私の家の玄関脇には、梅の古木が一本とその根元に皐月(さつき)の株が一株。柿の木が一本と、その3本がひっそりと肩を並べている。梅の木は、もう枯れてしまったのではないかと思われるほど冬の間葉が芽吹く気配とてまったく無かったが、気がつくと花も終わり、あっという間にこんもりと緑の大きな塊りになっている。
皐月は大きめの白い花を一杯に咲かせ、玄関を開く度、その見事な咲きっぷりに、心を慰められたが、その花も終わり、今は梅の木の緑と同化してしまっている。昨年すっかり丸裸にされた柿の木も、今は柿若葉が目にまぶしく五月の光の中で輝いている。
不順な季節の変貌に振りまわされながらも季節は確実に夏へと向かっているようだ。
今頃の季節を、あまり聞かない言葉だが小満(しょうまん)と言うそうで、陰暦4月の中で、太陽暦5月21日頃にあたる―と広辞苑にあった。
暖かくなったら、蔵書の整理をと思っているうちに、今度は暑くなってしまった。
リハビリのためにデイサービスにも通っているが、相変わらず来客も多く、一週間が半分ぐらいの感じで流れてゆく。
その上先月末には義弟の葬儀があり、5月5日には孫(娘の次男)の結婚式もあったりして益々忙しい毎日を送っている。
ひょんなことから3月末には、「根本圭助を囲む会」というのが開かれることになり、八ヶ崎の「びわ亭」へ日頃親しくしている人達が集まってくれた。当初は30人程の集まりが予定されたが、口コミその他で結局56人ものお人が集まってくれて賑やかな会になった。
鎌倉とか遠方から参加してくれた方も多く、「この年になって、こんなに人が集まってくれるのはなかなか無い事だよ」と出席してくれた友人、知人にも言われ、有難いことと心から感謝の一日を過ごした。おまけに当日は参加人数が多すぎてお断りせざるを得なかった他のグループもあり、また「そんなに大勢ではゆっくり話すことも出来ないから、私達は改めて別の日に集まる」というグループもあったりして、その後、親しい方達との集まりが4回程続いた。
やっと一区切りついたところで、先日集まった仲間から改めてまた集まろうという話が持ちあがり、先頃20人弱で行きつけの巣鴨の店をお借りして、またまた一騒ぎをした。
何とも有難いことで、私も83歳。この集まりで生前葬にしてもいいなァと一人でそんな気持ちにもなった。
ところで、このシリーズ3月号で、「隣りの玉ちゃん」という思い出を書かせていただいたが、尻切れトンボに終わっていたので、数人の読者の方から、玉ちゃんのその後について問い合わせをいただいた。
玉ちゃんと私は同年だったが、田舎町では目立つ存在で、恩師の小松崎茂先生のところへ原稿を取りに通ってくる編集者の中でも電車の中で彼女を見染めて、私のところへ問い合わせがあったり、集英社のSさんなどは「結婚したいから紹介してほしい」などという非常識な話まで舞いこんで、私も返事に困ったことがあった。ある日、用事で玉ちゃんの家へ行くと、彼女はいそいそと部屋を片付けて、花を飾ったりしていた。彼女はにこにこして「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を口ずさんでいたが、私には今日は恋人が来るんだな! と直感して、すぐ引き揚げた。
玉ちゃんの家は古材で作った大きな小屋のような家だった。想像した通り、程なく彼女は結婚したが、実家へ帰ると、よく「電話貸して!」と言って、私の家へ来ることが多かった。
玉ちゃんの家とは隣同士の高木さんの六人兄妹の末っ子が後のドリフターズの高木ブーちゃんで、ドリフで人気者になった高木ブーちゃんから「初恋談義」でテレビ出演を頼まれたと言って私の所へ相談に来たことがあった。「主人が良い顔しないのよ」と言って、結局テレビ出演は辞退したようだった。
昭和42年の正月だったと記憶するが、玉ちゃんの家を借りていた人が酔って石油ストーブをひっくり返し、あっという間に玉ちゃんの家は焼け落ちてしまった。私の家では、前年夏に長女が生まれたばかりで、妻は火の粉が降りかかる中で、てきぱきと長女を背負い、深夜だったが、実に見事に仕度を整えた。後々まで私は妻に、「まったく何の役にも立たないんだから…大丈夫、大丈夫と口ばかりで、ただオロオロしていただけなんだからー頼りになんない!」とよく笑われた。
実家が灰になってしまったので、玉ちゃんは、それ以後あまり柏へも来なくなった。
風の噂で、新しい事業を始める資金をそっくり御主人の友人に持ち逃げされて、夫婦2人で熱海の錦ヶ浦で入水心中をしたという痛ましい話が伝わって来たのは、火事から数年後のことだった。先日の集まりには高木ブーちゃんも来てくれたので、久々に玉ちゃんの思い出話をすることが出来た。夏になると休みの日に近所の子供達を集めて、私の家の前の原っぱで、シュミーズ姿(古いなァ)のまま相撲をとっていた姐御肌の彼女の姿をなつかしく思い出している。
話をびわ亭での会に戻すことにする。
数日前に、「2人でゆっくり話そうよ」ということで青空うれしさんが、清瀬から車で遊びに来てくれた。多くの人気歌手の司会をつとめ、とっておきのうら話をごっそり持っているうれし師匠は東京漫才界で活躍し、テレビのウイークエンダーで人気を博し、熱心な野球ファンでもあり、同年なので同じ時代の空気を吸った同志として話題は盡きず、楽しい刻を過ごした。
先日のパーティの写真が届いたので、今月は写真を中心に取りあげさせていただくことにした。
それにしてもこの文を書いているお陰で次から次へと思い出が連なり、往時渺茫(びょうぼう)まさに夢の如しである。