松戸周辺の城跡を訪ねて⑪
柏市内でまだ紹介していない4つの城跡を訪ねた。
【戸田 照朗】
柏市 高田城
下総国匝瑳郡を領した千葉常重の弟・匝瑳八郎常広を祖とする匝瑳氏が居城とした城。高田の熊野神社の東側一帯の台地に居館があったという。現在は城の遺構は残されていないが、大正12年に千葉県東葛飾郡教育会によってつくられた『東葛飾郡誌』には、「土塁の形跡を残しているが、一帯に野馬土手があるので、紛らわしい」と
いった内容が書かれている。
また、現在柏市立柏第四小学校がある舌状台地上にはかつて土塁・空堀跡があり、戦国時代に匝瑳氏が築いた城の跡ではないかという説がある。この台地の中央を国道16号線が貫通しており、台地の原型は失われている。
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柏市 布施城
城跡は利根川流域の低湿地帯にあった旧和田沼の南岸台地上にあった。現在は沼はなくなり田園が広がっている。台地上には八坂神社がある。神社の周りは旧家が多く、趣があった。台地の西側麓には斎場と県立柏高校の校舎がある。
戦国時代、布施城は守谷相馬氏の拠点の一つで、相馬氏は常陸川、小見川流域に守
谷、筒戸、高井、高野、布施などの城を持ち、常陸川水系の水運を掌握していた。
相馬氏は古河公方足利義氏の家臣として活躍し、小金城主高城氏の代官も務めた。
柏市 大室城
利根川流域の低地帯にあった独立丘陵が城跡と伝えられるが、現在は陸上自衛隊柏高射教育訓練場の敷地となっている。台地は削平されたが、利根川の堤防沿いに訓練場があり、現在でも小高く、低地帯が一望できる。訓練場の周辺は閑静な住宅街と公園が囲んでいる。土取り工事の際に多くの埴輪が見つかったことから、古墳であった可能性も指摘されている。かつては城跡台地の北側には沼や湿地帯が広がっており、大室城は小さな島に築かれた水城だった可能性もある。
大室城についての記録はなく詳細は不明だが、戦国時代は小金城主高城氏の勢力下にあったかもしれない。
柏市 猪ノ山城
猪ノ山の舌状台地上にあった城跡で、柏市山高野浄化センター西側に広がる雑木林が城跡だったという。明治時代の利根運河建設工事で舌状台地の舌先部分(西側)が失われた。城ノ越という字地名が残されている。また、かつては「要害」の字地名があったと伝えられ、周囲には「中立(なかだて)」「台」「北ノ内」「馬場」などの字地名が残り、城跡があったことを思わせるが、城についての記録はなく、詳細は不明だ。
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※参考文献=「東葛の中世城郭」(千野原靖方著・崙書房出版)