本よみ松よみ堂
ツバキ文具店
読むと、きちんとした生活が送りたくなる
ツバキ文具店
小川 糸 著
幻冬舎 1400円(税別)
近著「キラキラ共和国」が「本屋大賞」にノミネートされ、レビューを読んでみると、どうやら「ツバキ文具店」の続編にあたるらしいので、先にこちらを読んでみた。
主人公の雨宮鳩子は20代とまだ若いが、鎌倉で文具店を営むかたわら、代書屋をしている。自宅兼店舗の古い一軒家、ツバキ文具店の隣には、鳩子の年の離れた親友、バーババラ婦人が住んでいる。日本人だが、陽気で屈託がなく、少女のような高齢の夫人との朝のあいさつから物語は始まる。夏から始まって、次の春まで、一年の物語。緑と古い神社仏閣、そして落ち着いたおしゃれな店が立ち並ぶ鎌倉での生活と鳩子の代書仕事が描かれていく。表現が細やかで、四季の空気や町の色合いまでが自然と体に入ってくるような気がする。読むと、部屋の掃除をして、きちんと生活が送りたくなる。この感じ、どこか映画の「かもめ食堂」を観た後の感じに似ている。
雨宮家は江戸時代から続くとされる由緒ある代書屋。古くは右筆(ゆうひつ)と呼ばれた職業で、身分の高い人の代筆を行うことを生業(なりわい)としてきた。能筆(字が上手であること)が第一条件とされ、鎌倉幕府にも3人の優秀な右筆がいたという。雨宮家は江戸時代の大奥で働いていた右筆のひとりが、初代とされる。鳩子の祖母が十代目で十一代目が鳩子になる。
鳩子には母親の記憶がない。幼いころから先代の祖母から厳しくしつけられた。幼いころは祖母の言いつけに疑いもせず従っていた鳩子だったが、高校生になると習字の練習第一で、友達と自由に遊ぶこともできない生活に反発を覚えるようになった。3年前に先代が亡くなった時には海外を放浪していた。先代と双子の姉妹だったスシ子おばさんは、先代とは違い、おおらかな人で、先代の死後の大まかな残務処理をしてくれたが、そのスシ子おばさんも亡くなった。鳩子がツバキ文具店を継いで半年になる。
現代の代書屋の主な仕事は、祝儀袋の名前書きや記念碑に彫る文書、命名書、看板、社訓や為書き、履歴書、賞状や和食屋さんのお品書きなどなんでも書く。
鳩子のところには、暑中見舞いや年賀状の他に、お悔やみの手紙や、昔の恋人への近況報告、亡くなった夫から妻への手紙、絶縁状など、ちょっと難しい依頼も入ってくる。
鳩子は事情を聞いて、文章を考え、それに合った筆記具と便せんや封筒などの紙質まで慎重に吟味して、郵便局から出す。依頼者に手紙の内容を確認しないで出すのがちょっと意外だった。手紙を書くとき、鳩子には依頼者の思いが乗り移り、字体まで本人になりきって変化する。時に、どうしても書き出せず、スランプにおちいることも。手紙は鳩子の作品のようだ。この感じはどこか作家の仕事に似ている。生みの苦しみは、著者自身の体験も反映されているのかもしれない。本の中では手書きの手紙がそのまま印刷されている。これは、作家、編集者ともに悩みどころだったかもしれない。手書きの手紙のイメージが読者が想像したものと著しく違うと、台無しになってしまうからだ。手紙は萱谷恵子という方の筆のようだ。
依頼してくる客の中には、以前に先代が仕事を受けた人や、幼いころの鳩子を知っている人などがいて、鳩子は亡き祖母の面影を追わざるを得なくなる。鳩子には祖母に甘えた記憶がない。女手一つで自分を育ててくれた祖母への感謝と、祖母は自分を本当に愛してくれていたのだろうかという自信のなさ。祖母への複雑な思いに鳩子はどう向き合うのか、が物語の一つの柱になっている。
【奥森 広治】