チューニング 2018年3月25日
学生のころ、幕末史が苦手だった。敵味方の変化が激しくて、よくわからない▼御所に矢を放つという乱暴な策をとって都落ちした長州が最後には「錦の御旗」(実はレプリカ)を立て、「官軍」として幕府軍と闘った。苦しい財政を切りもりしながら京都の治安を守っていた会津藩は、「賊軍」の汚名を着て薩摩、長州などの新政府軍(官軍)の攻撃を受けることになる▼「勝てば官軍」とはよく言ったもので、会津藩や新撰組など幕府方が間違っていたから負けたというわけではない。戦いの勝ち負けと、正当性は別のところにある。黒船が押し寄せる国難の中、幕府を再建して国を守るという考え方に、まったく理がなかったとは言えない▼考えてみれば幕末の戦いは、「関ヶ原の戦い」という、わずか半日の戦いで徳川(幕府)に敗れた島津(薩摩)と毛利(長州)が265年ぶりにリベンジを果たした戦いだった。今年は明治維新から150年とのこと。その中間にあるのが、73年前の太平洋戦争の敗戦だ。敗戦は明治維新政府の一つの帰結であったと思う▼私たちは好むと好まざるとにかかわらず、大きな歴史の流れの中を生きている。73年前の敗戦は、アメリカや近隣諸国との関係、沖縄問題など、今も私たちに大きな影響を与えている。